「のたれ死に」 №223


「のたれ死に」


平成25年10月5日
「ひとしれず、旅の尼僧がのたれ死ぬ。見捨てられたような孤独死を、瀬戸内寂聴(91)はひたすら願っている」。先日、こんな書き出しの新聞記事を読みました(9/14付朝日)。寂聴さんは、すでに40代半ばから「私は旅の途上の見知らぬ小さな宿で、ひっそりと、一人の知人にもみとられず、この世を去っていきたいと憧れている」と随筆に書いているといいます。

 瀬戸内さんの40代半ばと言えば、流行作家のトップランナーとしてもてはやされていた頃ですが、当時の瀬戸内さんには、聞こえてくる名声がうつろにしか響かなかったといいます。「生きているのが、どうしようもなくしんどくなったんです」という言葉通り、子どもを捨て夫を裏切ったという思いが、今なお続くのたれ死に願望になっておられるのでしょう。

 しかし、今という時代は、たとえ願っても「のたれ死に」は難しいことと思います。野ざらしが普通であった昔はいざ知らず、今の日本では普通の人間でもなかなか出来得ないでしょうし、まして寂聴さんのような方が、のたれ死にするということはほとんど不可能ではないでしょうか。そう考えていて思い出すことがありました。

 昭和416月、歌舞伎俳優、八代目市川団蔵さんが、四国お遍路からの帰途、瀬戸内海で消えたのです。団蔵さんは名脇役として評判の高い方でしたが、ご本人は役者としての自分を評価することがなかったといいます。その年4月に引退披露をすると、5月には遍路に旅立ち、遍路を終えた一ヶ月後、帰途の船から姿を消したのです。

 その時、団蔵さんは84歳でしたが、厭世感はつとに強かったのでしょう。六代目菊五郎さんの狂歌「長生きは得じゃ月雪花に酒げに世の中のよしあしを見て」を「長生きは損じゃ月々いやなこと見聞く浮き世はあきてしまった」ともじっているそうです。そんな団蔵さんにとっては誰にも知られず世を去ることが最後の望みであったに違いありません。

 辞世は「我死なば香典受けな通夜もせず迷惑かけずさらば地獄へ」であったそうですが、誠にこの辞世の通りの完璧なのたれ死にではないでしょうか。人にはそれぞれの生き方、それぞれの死に方があります。私なんかきっと最後まで痛いの苦しいのとわめいて終わりそうですが、のたれ死に、皆さんはどうお思いですか。
 

              うつりきてお彼岸花のはなざかり
                          ~種田山頭火~

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