「土下座」考 №230

「土下座」考 №230
 平成25年11月 8日


「土下座」考

  
 先達てNHKの「クローズアップ現代」で「土下座」が取り上げられました。高い視聴率を記録したというドラマ「半沢直樹」の土下座に象徴されるように、いまこの日本で “土下座社会”と言うほど、土下座が不気味に広がっているといいます。その底に潜んでいる日本人の意識の変化を私たちはどうとらえればよいのでしょうか。
 
 番組によれば、土下座に「謝罪」の意味が加わったのは1974年。テレビでは1996年に薬害エイズの責任を問われた製薬会社の役員が土下座して謝ったのが最初だそうです。森・明大教授は、本来、恭順の意を表わす儀礼であった土下座が「謝罪」に変化したのは、日本の社会が相手の屈服を強要してうっぷんを晴らすようになったためだと言います。
 
 森教授はさらに、その背景には日本人の意識変化、異端を排除しようとする心の変化があると言います。「半沢直樹」は、これを見る人が土下座という公開処刑のような場面に溜飲を下げたのではないかと言うのです。氾濫する土下座の背景に日本人の集団化に基づく異端の排斥と憂さ晴らしがあるとしたら心寒く感じるのは私一人ではないでありましょう。
 
 詳しくは忘れましたが、柳田国男さんに「土下座」という短編があります。喪主が葬儀の会葬者を土下座して送るしきたりを持つ村の話です。その土下座を初めて体験した若い主人公が、土下座という行為によって村人との心の交流を実感したというものでした。学生時代、これを読んで私は土下座の持つ意味に目から鱗が落ちる思いでした。
 
 手の所作こそ違え、私たち僧侶はお拝という土下座に似た姿勢を取ります。毎日のお勤めには必ずしますし、十八拝差定といって法要中18回のお拝を繰り返すこともあります。もちろん、これらは謝罪ではありません。お釈迦様、仏さまに対する敬意敬服です。お釈迦様、仏さまに対する恭順の心をお拝という形で示しているのです。
 
 番組にもありましたが、買った商品に難癖をつけて女性店員二人に土下座させ、それをツイッターに投稿したという女は、土下座強要罪で逮捕されたということですが、その精神の低さと獰猛なことにはやり切れぬ思いを抑えきれません。どうぞ皆さまは土下座の本来の意味に思いを致して下さい。                                                                                      
           

            土下座して 知るつながりの 
           あたたかさ
                      仙















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