平成26年1月17日
天地悠久
妙々玄々妙々玄 宇宙果てなく幽かなり
看々聴々山水経 けれども耳を澄ましてごらん
夜来風雨仏現前 降る雨吹く風仏なり
私たちの宇宙は百数十億年前のビッグバンに始まったとされています。想像もできない遠い過去のことです。その宇宙の成り立ちや仕組みを思うと、不思議としか言えないのが真実ではないでしょうか。老子はこの見ようとして見えない宇宙の本質を「妙」と呼びました。この妙は永遠に欲望から解放されたものだけしか見ることが出来ないというのです。
それでは、欲望から解放されていないものは何を見るのか。老子はそれらのものが見ることのできるのは「徼」だと言います。徼とは結果です。本質ではなく本質の結果しか見ることができないというのです。老子は妙も徼は名こそ違え、同じもの(玄)から出てくると言います。玄とは幽かで見えにくく神秘なものという意味です。
上の詩を年賀状に書きましたら、ある方から「しみじみとした気持ちで」詩を読みましたと返事を頂きました。ある方とは先年『まいにち富士山』という本を出された佐々木茂良さんです。この方の“富士登山通勤”については以前、たよりでもご紹介いたしましたが、佐々木さんはいまも富士登山を継続されていて昨年で通算1176回になったそうです。
佐々木さんは富士登山で何回か瀕死の経験をされています。いつ何時天候が急変するか知れない山です。登山一回毎がその危険を持っていると言って言い過ぎではないでありましょう。ただ祈るしかなかったという瀕死の体験をされた方が、上の詩をしみじみ読んだと言って下さったことに私は有難さと嬉しさを覚えました。
私が嬉しいと思うのは勝手な受け取りとは思いますが、私は佐々木さんは1176回に及ぶ前人未到の記録を達成する中できっと富士山の神秘、宇宙の不思議を感じることがあったに違いないと思います。雨や風にそして野の花に宇宙そのものを感じ、そこに仏の存在を確信されただろうと思うのです。感銘でした。
登頂回数は通算1176回になりました。
神様仏様みなさまのおかげです。
佐々木茂良
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