冥土の土産 №251

かんのんだより №251
冥土の土産
平成26年 3月 8日


 冥土の土産 
  
  先日、坐禅会の折に、皆さん一緒に冥土の土産を企画実行して下さい、と提案しました。実は以前、すでに「冥土の土産企画委員会」なるものをつくって活動しているグループがあることを聴いたことがあるからです。ある困難な体験を共有した地域の方々が、その後の発展的な活動としてそれを始めたというのです。
 
 「冥土の土産」の言葉通り、その委員会では旅行や催しなど楽しいことを主にしながら、併せて地域のためになること、人のためになることなどをしているそうですが、私は何よりみんなが一緒にしていることに大きな意味があると思いました。一緒に考え実行することで個の人生に対して意識が深まると思うのです。
 
 霊学の観点で申し上げれば、私たちは自分の今回の人生で、やれなかったことやらなかったことがありますが、それらは死後次の人生のために数年にわたって反省を続けなければならないのです。予定しながら出来なかったこと、別けて「しなかったこと」には大きな後悔が伴わざる得ません。その後悔が次の生への決意になるのです。
 
 その意味で私は人生の後半には自分の人生を振り返る復習と次生の準備としての予習を心掛けるべきではないかと思うのです。 死後の大いなる反省と決意を以てしてもなお予定通りにはいかないのが人生だとすれば、次の人生を今生のうちから意識しておくことが大切かつ有効ではないかと思うのです。
 
 後悔と反省のない人生なんてありません。この世で実行しようとしたことが全部実行できる人生なんてありません。 人間として実行すべきことが全部実行できたらもう人間として生まれる必要はなくなるのです。お釈迦様はそのことを私たちに教えに来て下さった仏様ですが、それはお釈迦さまだから可能であったと言えるのです。
 
 どうぞ皆さん、みんなで一緒に冥土の土産をたくさん作って下さい。そして同時に自分の人生でやり残していたことに気づいたらそれを始めて下さい。仕上がらなくていいのです。始めておけばそれは必ず次生、来生につながります。そのつながりをつくっておくことこそが大切ではないでしょうか。





        修養すれば老人の方が美しい
               金子大栄










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