かんのんだより№252 日本漂流

日本漂流 №252
平成26年3月12日


日本漂流 
 
 
 この三月、東日本大震災から三年になりました。新聞、ラジオ、テレビで多くの報道がありましたから、それらをご覧になった方も多かったと思います。私も復興の状況と震災の意味を捉え直すテレビ番組を見ましたが、見ていて逆にこの日本はどうなってしまうのだろうという不安を禁じ得ませんでした。
 
 復興を辿っているように見える景色の一方で、避難を余儀なくされている原発近くの町の人たちには故郷に帰ることをあきらめる人が増えていると言います。その一つ、大熊町では一昨年には50%を占めていた帰還希望者が、この一年で12%に激減したと言います。その人々の心には「棄民」という思いが募っているというのです。
 
 南三陸町の防災センターで最後まで住民に避難を呼びかけながら亡くなった遠藤未希さんのお母さん遠藤美恵子さんは「復興復興と言われながら心の中では虚しさだけが大きくなっていく」と言われました。三年たってようやく亡くなった未希さんと一緒に生きる思いに至ったという遠藤さんにしてこの言葉なのです。
 
 言うまでもなく、今回の震災の被害を倍加させたものは原発事故でしたが、まだその事故原発の処理もままならないのに東電や現政権は原発の再稼働を急ごうとしています。事故被害の大きさからみれば、経済性はもとよりすべての面において原発はもうあり得ないのに再稼動させようとするのは正気の沙汰ではありません。常軌を逸するとはこのことです。
 
 しかし、このままいけば原発再稼働になりかねません。はっきり言ってそれは狂気の漂流です。私は日本という国はいま、国という(たが)が外れて漂流し始めたのではないかという恐れと不安を禁じ得ません。実は漂流の兆候はすでに随所に現われていると言って過言ではありません。私たちはその状況に直面しているのです。
 
 これからその漂流を加速するのも私たち、食い止めるのも私たちです。どうぞ皆さん、自らと自らの生活を考え直し、漂流日本を食い止めて下さい。寺もその一助を果たしたいと願って止みません。どうぞ寺に足を運んで下さい。寺への提言を下さい。いまこそ共に考え共に歩むことをいたしましょう。




    天は自ら助くるものを助く
    (Heaven helps those who help themselves

0 件のコメント:

コメントを投稿