続・日本漂流 №253


続・日本漂流
平成26年3月17日 

続・日本漂流 
 
 漂流とは文字通り漂い流れること。目的のないさすらいほど人にとって侘びしく悲しいことはありません。前号(№252)で、日本がいま物心両面に渡って漂流し始めているのではないかという不安を書きました。そのなかで、すでに漂流の兆候は現われていると申し上げましたが、私が思ったその兆候について考えてみたいと思います。
 
 一年ほど前、NHKで「終の住処はどこに 老人漂流社会」という番組がありました。体調を崩して自宅にいられなくなった一人暮らしの高齢者が、一時的に預かってくれる短期入所の施設を転々と“漂流”する異常事態が起き始めているという報道でした。この背景には入院も出来ず介護施設も常に満床という現実があります。
 
 これが長寿国日本の現状なのです。今の日本では長寿は決して目出度いばかりではありません。それは日本が超高齢社会になることは分かっていながらその施策を怠ってきた結果と言えましょう。高齢者が「死に場所」を求めて漂流せざるを得ないのは日本の社会が人間の社会としてあるべき姿になっていないということなのです。
 
 もう一つ、私が考えさせられたのは、つい先月の、やはりNHKの番組でした。島根県松江市のショッピングセンターの中のゲームセンターに夜、お年寄りが集まって来るという話です。男女ともに、年齢は70代、80代、中には90歳になる方もいますが目的は一つ、人との交流。ゲームセンターでの雑談に一人暮らしの淋しさを紛らすというのです。
 
 どこの誰とも、名前を知ることもなく、話をしたいためだけの夜のゲームセンター通い。現代版井戸端会議と言えばそうかも知れませんが、そこがその人たちにとって唯一の癒し場、中には閉店までいる人もいると聞けば、現代社会のゆがみと思わざるを得ません。この果てに人間社会の崩壊を思うのは杞憂に過ぎないでしょうか。
 
 日本がこの五十年に失ったものを思う時、やはり大きいのは地域という共同体の喪失、人間関係の希薄化ではないでしょうか。その傾向はこれからスマートフォンの影響などで一層強まっていくのではないかと思います。どうぞ皆さん、互いのお話は寺でして下さい。明るい寺子屋会議こそ生きる力になりますから。
 


   平和をあなたにもたらすことができるのは、
   あなただけだ。
   (Nothing can bring you peace but yourself)   
             ~エマソン~









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