借金返し №267

借金返し №267
平成26年6月6日


借金返し
 
 叩けばへこむ、引っ張れば伸びる。これが物理法則だと思いますが、仏教には因果応報という教えがあります。人がすること、行為や言葉は因となって果を生じるという教えです。よいことであれ悪いことであれ、人の言動にはそれに応じた結果があるということです。それは叩けばへこむ、引っ張れば伸びる、という物理法則と同じだと思います。
 
 ですから、この因果応報の教えは、常に自らの行為や考え、そして生き方に反省を怠らず精進し続けるための教えであると思います。皮相的に解釈すると、宿命論になったり差別の肯定や助長になったりという「悪しき業論」になりかねませんが、それではこの因果応報の本来の教えに背くことになってしまうのです。
 
 先日、坐禅会の後の「正法眼蔵隋聞記」にこんなお話が出てきました。道元禅師が修行僧に対し、仏弟子は一切の生きとし生けるものにいたわりの心を持ち、先輩の僧をつつしみ敬うことは無論、たとえ目下のものであっても大声で叱ったり苦しめたりしてはならない、と諭されてお釈迦様の話をされるのです。それが次の話です。
 
 お釈迦様が在世の時、外道にお釈迦さまをそしり憎むものがあった。そこで弟子のひとりがお釈迦様は常に慈悲の心で人々に接して下さっているのに…、とその訳をお尋ねすると、お釈迦様は「過去世、自分が弟子に対して大声で叱ったことがある。その報いで今この通り外道からそしり憎まれるのである」とお答えになったというのです。
 
 このお話が真実かどうかは知りません。うっかりすると宿命論に陥りかねませんが、道元禅師は宿命論を言いたくてこの話を出されたのではなく、私たちの考え方、生き方の大切さを示そうとされたのだと思います。人は生きている限り悪事もします。それはいわば借金です。思わぬ苦しみは過去世の負債の返済かも知れないのです。
 
 そう考えると、人生の一面は自分の過去世の借金返しかも知れません。と言って、宿命論、悪しき業論に陥ることなく、七仏通戒偈にいう「よいことをする、悪いことはしない」という戒めをもとに、周囲の人へのいたわりと感謝、自らの生き方に対する反省と精進をしていきたいと願って止みません。



                池作れば月宿る














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