「お蔭」を歩く №268

「お蔭」を歩く №268
平成26年6月12日

お蔭」を歩く     

     草刈りをしてくれてある道を行く
    頂きます、冷たいジュースの温もりを 

 この16日、高林寺様主催のお遍路に行ってきました。今回は前回終了の第43番明石寺から第49番浄土寺までの113㎞を四日で回ろうというものです。メインは明石寺から大宝寺までただ歩くしかない長丁場67㎞。この距離は札所間としては、前回の第37番岩本寺から第38番足摺岬の金剛福寺までの81㎞に次ぐ二番目の長距離なのです。
 
 その点では決して楽な道のりではなかったのですが、皆さんほんとによく歩かれました。今回参加7名のうち、お二人が女性で、そのうちのお一人は、初めてのご参加でしたが実に健脚。よろよろの私は敬服しかありませんでした。でも、皆さんが安心して歩けたのは今回も車でのサポートをして下さった高林寺様のお蔭です。厚く御礼申し上げます。
 
 さて、今回のお遍路で特筆すべきことはお接待でした。道沿いのお店で「歩きながらどうぞ」と揚げたてのてんぷら(さつま揚げ)を頂いたり、休憩しているところへ冷たいジュースを届けて下さったり、多くの方から「頑張って下さい」と励ましの言葉を頂いたり、お店に忘れた品物を車で追いかけて届けて下さったり、と有難いことばかりでした。
 
 お接待というのは本当に嬉しく有難いものです。今回もそのお接待にどんなに癒され励まされたか知れません。しかし、同時にもう一つ、有難いと思ったのは「お蔭」の道、です。山の中の遍路道は歩き遍路の人しか通りません。ですから、放っておけば草が生い茂って歩けなくなってしまいます。冒頭の句は草刈りをしてくれた遍路道での思いです。
 
 道順を示す標識もそうですが、お遍路は草刈りをしたり倒木を片づけたり標識をつけてくれたりという善意の人々のお蔭に支えられているのです。お遍路をするたびに思うのですが、今回は一層「歩かせて頂く」とい思いを強くしました。お遍路は自分の力で歩くのではなく多くの人の「お蔭」を歩かせて頂くのです。
 
 思えばこれは人生のすべてに通じることかも知れません。人は結局多くの人のお蔭を頂いて生きているのですね。






    今の世は大悲のめぐみ菅生山(すごうさん)
   ついには弥陀の誓いをぞ待つ
         <大宝寺ご詠歌>








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