「衛門三郎」伝説 №270

「衛門三郎」伝説 №270
平成26年6月17日



「衛門三郎」伝説
 
 四国遍路には弘法大師の霊験談が多く伝えられていますが、それと同時にお遍路にまつわる伝説も数多くあります。その代表的なものが衛門三郎伝説ではないでしょうか。衛門三郎という人は弘法大師、お大師様と同じ時代の人です。今では「遍路の元祖」と言われていますが、何故にそうなったかには興味深い話があります。
 
 衛門三郎は第47番札所、八坂寺の近く、今の松山市荏原に生まれたと言います。富豪であったものの人々からは強欲非道と罵られる人物。ある時、この衛門三郎の家に旅の僧が托鉢に訪れるや衛門三郎はそれに応じるどころか、箒でその僧の鉄鉢を払いのけたため鉢は地に落ちて八つに割れ空に飛び散ったと言います。
 
 ところがその後、三郎の八人の子どもが次々に死ぬという悲惨にあい、改めて旅の僧が弘法さまであったと気づくや、三郎は許しを乞うためにその後を追って四国を回り始めます。それが遍路の始まりだというのです。三郎は遍路23周目、第13番焼山寺でようやくお大師様に会うことが叶い、命の再生を懇願して息尽きたと言います。
 
 第51番石手寺の名は、弘法大師が三郎の死の間際、三郎の手に握らせたという小石に由来しています。三郎の死後、石手寺の近くに「衛門三郎再来」と書かれた小石を握った赤ん坊が生まれたことで、寺はそれまでの安養寺という名を石手寺と変え、以来その小石を寺の宝として祀っているというのです。
 
 この衛門三郎伝説がどこまで真実かは分かりません。しかし、私たちはこの伝説から学ぶことができます。その一つは布施の大切さでしょう。布施というのは決して一方的なものではありません。互いが持てるものを分かち合うという修行です。卑近な例、檀信徒の方々の財施は仏様の法施に変わるのです。愛語も和顔も布施修行なのです。
 
 学びのもう一つは一心不乱の貴さです。衛門三郎は弘法大師に会いたくて回っていたのですから、そこにお遍路という気持ちはなかったと思います。しかし、それが結果としてお遍路という精神修行の形と道を作ることになりました。目的は何であれ、一心不乱の行為は必ず何かを生み出すのでしょう。

     

          あの世へと 持参するもの この世での 
              己が善悪 ただそればかり
                     読み人知らず








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