お盆はおもてなし №278

平成26年 8月 3日
お盆はおもてなし №278

 今年も間もなくお盆です。今では死語になってしまいましたが、「盆と正月が一緒に来たよう」という言葉があったようにお盆は大切な年中行事でありました。むろん今でも以前通りに大切に行っているお家も多いと思いますが、その一方でお盆が単なる盆休みでしかなくなっている家も増えているのではないでしょうか。
 
 お盆は正しくは「盂蘭盆会(うらぼんえ)」と言います。「ウラボン」という語音を漢字に表わしたのが盂蘭盆ですから漢字には意味はありません。しかし、そのウラボンも原語に諸説があるようで、その一つに、倒懸(地獄の逆さ吊り)を意味する「ウッランバナ」説がありますが、梵語学者の岩本 裕さんは、その語形は梵語文献のどこにもないと言われます。
 
 それではウラボンの原語は何か。 岩本さんはイラン民族が死者の霊魂を指して言う「ウルヴァン」がそれだと言います。このウルヴァンを祀る祖先祭が収穫祭と結合し、変容しつつ日本へと伝わって来たのがお盆だと言われるのです。ウルヴァンの祭事には先祖を迎える火を焚く習いもあるそうですからこの説には説得力があります。
 
 迎え火を焚いてご先祖さまをお迎えし、二日間ゆっくりして頂いて、また送り火でお帰り頂く。お盆のこの風習こそご先祖に対する最高のおもてなしではないでしょうか。まさに「祭ること(いま)すが如く」です。生きている者がご先祖の諸霊に対し、そこにいらっしゃるがごとくにおもてなしをするのは死者の霊を信じるからこそです。
 
 このたより№274(まちづくり」、№275(続・まちづくり)で地域共同体の基本は、生者と死者の連帯であることを申し上げましたが、その核となるのは各家における先祖供養です。先祖を敬い感謝し、先祖とともにある生活こそ私たちのあるべき姿です。今生きている私たちもやがては先祖に仲間入りし、霊存在として生者に関わるのです。
 
  Sさんは毎朝、仏壇にお仏飯をお供えし、後でそれを頂くといいます。大きなことではないかも知れませんが、毎日するのは決して容易ではありません。が、Sさんはそれを日常化することによってご先祖さま方と深いつながりを持っていると思います。それこそが霊的存在である人間の生き方ではないでしょうか。


 

       子等の焚く 迎え火の()の さゆらぐは
        みたまの母の 来たまえるらし
                   盂蘭盆会ご詠歌











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