帽子を脱ぐ №307

帽子を脱ぐ

平成27年2月16日 

 先日のたより№304(人生は日常2)で、人生は日常そのものであり、そのほかにはないことを申し上げました。行住坐臥、毎日の繰り返しこそ人生であるという思いからでした。この行住坐臥をゆるぎなく懸命に行っていくこと。簡単そうで実は決して容易ではない日常を大切に生きることが人生であるに違いありません。

 ここでいきなり質問です。私たち僧侶は剃髪、髪を剃っていますが、その剃髪のメリット、デメリットは何だと思いますか。自分の例を申し上げましょう。まずメリット。私たちはシャンプー、リンスが要りません(アハハでしょ)。当然、髪を乾かすためのドライヤーも必要ありません。モノ要らず時間節約、これは大変な利点です。

 次はデメリット。私にとって不利、その第一は真夏真冬です。坊主頭を真夏の直射日光に晒すのはきついです。夏のカンカン照りはたまりません。それは真冬も同じです。真冬の冷気を直接頭に受けるのは身に応えます。真夏真冬、私たちには髪の毛が果たしている防暑防寒のための被り物、帽子が必須になるのです。

 で、ようやく本題ですが、真冬のこの時期、朝の食事時に帽子を脱ぐのは正直ためらいを覚えます。普段は一人ですから、食事時、私が帽子を取らなかったとしても咎められることはありません。言ってみればその程度のことです。しかし、もし帽子を取らなかったとすれば、それを知る人がいます。天と地、そして自分です。

 行住坐臥、日常を一生懸命に生きるということはそのことではないでしょうか。自分が自分の中の仏に恥じることなく生きること。誰かが見ていても見ていなくても、寒くてもつらくても礼儀として守るべきことは守りすべきことはする。人生を真剣に生きるということはその積み重ねではないでしょうか。

 思えば小さなことですが、皆さんもきっと同じだと思います。小さなことであればある程、ないがしろにせず大切に心を込めて行う。それは実は大変に難しいことではありますが、これも日常のトレーニングです。安きに流れれば際限はありません。一歩踏み止まることが修行なのですね。
 


   君子は独りを慎む
              ~「中庸」~

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