雨の日には… №309

雨の日には…№309
平成27年2月28日


 
             雨の日には…
 
 先日、NHKテレビの「日曜美術館」で相田みつをさんの書と言葉についての紹介がありました。相田みつをさんは終生、道元禅師が著した正法眼蔵の参究に努めながら、人間として生きる悩みや気づきの言葉を独特の書で表わされました。没後二十数年、残された言葉がなお多くの人に勇気と慰めを与え続けていることはご存知の通りです。
 
 その相田さんの言葉の中でも代表的な言葉が「雨の日には/雨の中を/風の日には/風の中を」でありましょう。相田さんは生涯三回、この言葉を書いておられるそうですが、相田さんと親交のあった書家の尾花也生さんは、亡くなる67歳の時に書かれた最後のものに、それ以前にはない自然体が感じられると言います。伺って私も「なるほど」の思いでした。
 
 この「雨の日には…」の言葉は、詩作ノートでは長い詩の一部になっていました。その日付は「昭和491126日」となっていましたが、私は翌昭和50年に日経新聞でこの言葉を知りました。どうしてそんなことを覚えているかと申しますと、自慢ではありませんが(いや、これは自慢ですね)、当時、私も全く同じ言葉にたどり着いていたからです。
 
 私はその頃坐禅に夢中でしたが、そんな中で思い至ったのが「雨降れば/雨に濡れ/風吹けば/風に吹かれる」という言葉だったのです。ですから、相田さんの言葉を知った時は「へえーっ」どころか驚きでした。当時、相田さんがどういうお方かも知りませんでしたが、自分と全く同じ心境を言われていることにびっくりしたのでした。
 
 『雨の日には…』の作品集のあとがきに、ご子息の相田一人さんが、「(この言葉は、父が)生きる上のテーマであり、父の人生を象徴するものだ、という気がいたします」と書かれていますが私も全くその通りだと思います。そこにはたとえ自分に不都合なことがあっても、そこから逃げることなく生きようとする覚悟がなければなりません。
 
 思わぬ自慢話(?)になってしまいましたが、私の思うところに変わりはありません。振り返れば、あれから40年。 私が自分の言葉通りに生きて来たかと問われれば忸怩たる思いがよぎります。

          
             
           




 うしろ姿のしぐれていくか         
       種田山頭火














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