われわれはどこへ行くのか №310

われわれはどこへ行くのか №310
平成27年3月 1日


         われわれはどこへ行くのか
 
 先達て仕事時代の友人から手紙を頂きました。実はこの友人、昨年、ガンになったのです。発見まで何の自覚症状もなかったということですから、分かった時はどんなにショックだったろうと思います。しかし、その一方で私が感銘したのは、友人がガンという自身の病気を考えることによってある気づきに至ったことでした。
 
 友人は以前から、「エイズは地球のガンと化した人類をせん滅させる尖兵として出現したのであり、それは地球の免疫システムに他ならない」と言っていましたが、得病によって、その思いをさらに深化させたのでしょう。「人を根絶やしにするというエイズウイルスの設計思想とその機能の洗練された完成度」に次のような発見を得たのです。
 
 友人は言います。「(エイズウイルスの)その洗練と完成度からは地球が人類に抱く憎悪、嫌悪の大きさが感じられますし、不適切かも知れませんが、そこには”美しさ”としか言いようのないものがあります」と。エイズの感染は性行為と血液、母子感染によっていますが、友人がその仕組みに思い至った「美しさ」という言葉が衝撃でした。
 
 物事の仕組みというのはそういうことかも知れません。身体が病気になった時、身体は全力を挙げてそれを克服しようとします。それは地球も人体と全く同じなのでありましょう。人体であれ地球であれ、システムがフル稼働することは“美しい”としか言いようのないほど精密で神秘的な働きなのだと思います。
 
 そのことを考えていてふと別のことを思いました。イスラムIS)のことです。人間がガンに侵されるように、人類はいまISという「人ガン」を持ったのではないか。とすれば、私たち人類はこの人類のガンに対して、どのような免疫システムを発揮すればよいのでしょう。武力だけで解決できるとは到底思えません。
 
 ゴーギャンがタヒチで描いた「われわれはどこから来たのか。われわれは何か。われわれはどこへ行くのか」という絵がありますが、私たちはいま再びこのゴーギャンの言葉を突きつけられているように思えてなりません。人類のガンに対して人類の免疫システムを発揮出来なければそこには滅亡しかありません。


 

       

   まこと、怨みごころは いかなるすべをもつとも 
   怨みを懐くその日まで ひとの世にはやみがたし   
                (法句経)


     

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