<お遍路で考えたこと①>お接待考 №378

平成28年6月6日

<お遍路で考えたこと①>お接待考



 52326日、高林寺様主催のお遍路、最終回に行って来ました。思えば、平成21年秋の第一回から8年、この間毎年春秋2回、歩き遍路の会を続けて下さいましたが、今回でKさんが二人目の結願となることを区切りに最終回ということになりました。高林寺様、本当にこれまで有難うございました。お蔭さまで私もほぼ三周になりました。厚く御礼申し上げます。

 今回のお遍路でも道々様々なことを考えさせられました。最終回を記念してそのうちの三つほどをご報告旁お話したいと思います。今日はその一、お接待についてです。

 お遍路に行くと必ずと言ってよいほど地元の方々のお接待を頂きます。お接待下さるのは飲み物やお菓子、果物等ですが、今回も道中、何度か嬉しいお接待を頂きました。暑い時の冷たい水やお茶には心底涙が出るほどの有難さを思います。お接待下さる方の気持ち、そして「頑張って下さい」という一言に励まされるのは申し上げるまでもありません。

 四国という土地はお遍路と一体化したお接待の土地です。お接待という特異な文化が風習となった奇特な場所だと思います。そして、その根底にあるのが無償の愛、布施行ではないでしょうか。喉の渇きを癒す冷たい水。疲れた人への励ましの言葉。それは困難の渦中にある人への布施行に他なりません。

 思えば人は誰一人自分一人で生きていくことはできません。例えば水、空気。人間の生存に絶対必要なそれらは地球のお蔭です。食べ物は自然の恵みです。互いに暮らしていけるのは人さまのお蔭です。私たちは皆何かのお蔭、誰かのお蔭を頂いて生きています。そのお蔭こそ布施なのです。布施を頂いて生かさせて頂いているのです。
 
 今回のお遍路で私は改めて布施行の大切さを思いました。布施は一方的に頂くだけではなりません。自ら意識して人への布施を心掛けていかなくてはなりません。だからこそ「行」なのです。言施はもとより顔施、財施、法施。それぞれが出来る布施を行じていくことこそ人間の修行の第一歩ではないでしょうか。


布施というは(むさぼ)らざるなり。
但彼が報謝を貪らず自らが力を(わか)つなり。
                   ~修証義~






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