円環の旅 №382

平成28年6月17日

円環の旅


 前号(№381循環)を考えながら思ったことがありました。循環と同義語に近い「円環・円」という言葉です。というのは、実はお遍路は札所88ヵ所回ってお仕舞いではありません。分かりやすく札所第一番から順にお遍路したとします。とすると、88番まで行けば、それでめでたしの結願になりますが、実は更にもう一つすることがあるのです。

 それは一番札所霊山寺に戻ることなのです。もし一番以外から始めたとすれば、また最後、初めの札所に戻って完了になるのです。これでお分かりのように四国お遍路は円環、サークルをつくる形になっているのです。お遍路を円環にすること。これは私たちの人生に象徴的な意味を含んでいると言えないでしょうか。

 お遍路を円環にするということは反復を意味しています。四国お遍路の一回は「無限反復」の一回になります。何度も申し上げていることですが、私たち人間は生死を繰り返す存在です。生まれて生きて死んで生まれるという無限反復が人生だとすれば、四国お遍路はそのミニ版であり、人間の象徴と言えるでありましょう。

 以前「メビウスの帯」(№132)をご紹介しました。リボン状の細長い紙を一ひねりして、その両端を糊付けすると、表裏のない曲面になり、その紙幅の真ん中を切っていくと、無限大を表わす∞の形になるのでしたね。このメビウスの帯こそ円環の旅、お遍路であり、それは人生そのものと言えましょう。

 人生を円環の旅と捉えるならば、それぞれの今生はそれぞれの一回の円環の旅です。人はみなそれぞれの円環の旅を繰り返します。その一回毎の旅で寄り道しようが一休みしようがそれは自由。走ろうと歩こうと自由。成功も失敗も一人ひとりのことです。泣こうと笑おうと人は結局それぞれ自分の道を辿っているのではないでしょうか。

 私はいま改めて諸行無常ということを思います。あらゆるものは永遠にめぐり続けるということ。そしてそれをはっきり意識することが出来るのが人間であると。私たちの円環の旅、人生こそそのまま諸行無常ではないのかと。一分一秒の休みもなく円環をめぐり続けているのが私たちではないかと。



         めぐるめぐるよ時代はめぐる 別れと出会いをくり返し…
                   ~中島みゆき「時代」~

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