<お遍路で考えたこと③> 功の多少
今回のお遍路三日目(5月25日)は21番太龍寺から20番鶴林寺への逆打ちでした。しかし、昔から阿波(徳島県)の難所を示す言葉に「一に焼山二にお鶴三に太龍寺」とあるように、太龍寺も鶴林寺も遍路泣かせの難所です。どちらも標高500メートルほどの山ですが、それが連続しているだけにそのきつさは半端ではありません。
その日、お天気の心配もあったため太龍寺は途中の駐車場まで車で送ってもらいましたが、そこから本堂までまだ1.5㎞もきつい登りが残っています。でもまだこれは序の口。お詣りを済ませて鶴林寺への道は「つるりんと滑らないでね」と駄洒落も初めのことだけ。後はもう喘ぎ喘ぎの上り下りになりました。
考えたのは、その二つの山道でのことです。太龍寺、鶴林寺の遍路道は上り下りともコンクリートの円柱を横に寝かせ、その左右を杭で固定した階段道にしてくれてありました。その道を歩きながら思ったのです。これは大変な作業だったろうなぁと。柱は直径12,3㎝、長さは120㎝ほどでしょうか。重さは恐らく4,50㎏になるでありましょう。
その柱を一体いつ誰がどのようにこの山に運んで階段に仕上げてくれたのでしょう。二つの山ですからその数は何十何百どころか、何千本という数になっているに違いありません。大型重機の入れない山中ですから運び込むだけでも大変のはず。どんなに沢山の人の労力と時間を必要としたことでしょうか。それを思うと感謝しかありませんでした。
私たちが食事を頂くときに唱える「五観の偈」の第一は「功の多少を計り彼の来処を量る」という言葉ですが、これは「この食事に費やされた多くの人の苦労を偲び感謝します」という意味です。山中の遍路道に費やされた沢山の人の労力はまさにそれです。遍路道はどこもそれを維持管理する多くの人の苦労に支えられているのです。
お遍路は自分が歩いているのではありません。お遍路を支えて下さる多くの人のお蔭で歩かせて頂いているのです。これは私たちの人生すべてについて言えることではないでしょうか。そう思いました。
また見ることもない山が遠ざかる
こんなにうまい水があふれている
~山頭火~
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