<お遍路で考えたこと②>死者共存 №379

平成28年6月7日

<お遍路で考えたこと②>死者共存 №379



 今回のお遍路初日、3番の金泉寺から4番大日寺へ向かう途中のことです。道の傍らにお花に囲まれた小さなお堂がありました。沢山の黄色い金鶏菊、赤白ピンク、沢山のアルストロメリアがお堂を囲むように咲いているのです。もちろん誰かが育てて咲かせているのでしょう。その美しさに私は思わずお堂に引き寄せられました。

 お堂の前に「振袖地蔵」と書かれた掲示板がありました。それによると、いまから430年も前、長宗我部元親の軍に敗れた赤沢信濃守の幼い娘カヨが城から逃れる途中、そのお堂付近で斬殺されたことを哀れんだ村人が作ったのがそのお地蔵さんだというのです。振袖姿にしたのは振袖を着ることもなく死んだ幼い女の子を不憫に思ってというのでした。

 お堂を覗くと、そこには確かに幼い顔をした振袖姿のお地蔵さんがおりました。そのお地蔵さんを見て私も粛然たる思いにならざるを得ませんでした。戦とはいえ、いとけない女の子までが殺されるというむごさは時を越えて人々の胸を打ちます。だからこそ、今なおここに花に囲まれたお堂があるのでしょう。

 道の傍らに振袖地蔵をまつるお堂があり、そのお堂は沢山の綺麗な花に囲まれている。それは殺された少女カヨを哀れみ、何百年もの間、お堂を作って慰霊を続けて来た人たちがいるということです。私はその事実に、カヨという少女は今もここに生きている、この地域の人たちは今なおカヨと一緒に生きている、と痛感せざるを得ませんでした。

 これも今回つくづく思ったことですが、徳島には道沿いに墓所があちこち普通にありました。これもまた生者と死者が共存している表われと言えないでしょうか。時空を越えて生者と死者が共存していることに私は人間という存在の本質を見る思いがしてなりません。生と死がごく身近にあることこそ人間の真実ではないでしょうか。 
 

 私たちは生きている。しかし、死者もまた生きている。振袖地蔵を守る人たちの温かい心に改めてそう思ったことでした。瞑目合掌。
 



       とんぼつり
           けふはどこまで行ったやら

0 件のコメント:

コメントを投稿