潔いということ№392

平成28年8月20日
潔いということ№392


潔いということ 






 


 今年、戦後71年目の終戦記念日の戦没者追悼式で天皇陛下は「ここに過去を顧み、深い反省とともに、今後、戦争の惨禍が再び繰り返されないことを切に願い、全国民と共に、戦陣に散り戦禍に倒れた人々に対し、心から追悼の意を表し、世界の平和と我が国の一層の発展を祈ります」と述べられました。

 私はこの陛下のお言葉に深い敬意と共感を覚えずにはいられません。戦争で亡くなった人々を追悼し、同時に戦争への反省と戦争の事実と真実に目をそむけることなく世界平和の達成を祈られることに心からの尊敬を覚えてなりません。戦後71年目の今年は次の70年への第一年目です。陛下のお言葉こそが、その初年の決意であるべきです。

 私たちが意識しなければならないことは、陛下が「全国民と共に」と言われていることです。戦禍に倒れた人々への追悼と世界平和の祈りは全国民がしなければならないものです。度々申し上げていることですが、平和は与えられるものではありません。国民一人ひとりが平和を決意し守っていかなければならないものなのです。

 同じ15日の毎日新聞の[終戦記念日]と題する社説には「71年続く日本の平和は至高の財産だ。これが80年、90年と続くようにするには、やはり努力がいる。歴史の学ぶ力を蓄えること。今日はその大切さを確認する日である」とありました。私はこれも陛下のお心と軌を一にするものだと思います。

 戦争を体験した人が減り、戦争の記憶の風化が進む中で誤った歴史認識を持った人が公然化していることは誠に憂うべきことだと言わなければなりません。その人たちの中には声高に日本民族と言ったりナショナリズムを強調したりする気配が伺えますが、日本人の本当の美しさは潔さにあるのではないでしょうか。

 戦争の事実、真実をありのままに受け止め、その中にある過ちを素直に認めて未来に語り継ぎ、そして忘れない、ということこそ潔い日本人の美徳ではないでしょうか。世界に誉め讃えられる日本人の素晴らしさ、世界平和の原点はそこにこそあるのではないでしょうか。私はその象徴が天皇陛下だと思います。九拝。




吹き出し: 角を丸めた四角形: しきしまの 大和心を 人問はば 朝日ににほふ 山桜花
          本居宣長

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