お迎え現象 №395

お迎え現象


平成28年9月10日

 臨終に「お迎えが来た」という言い方がありますね。死が身近にあった頃はこの言葉がごく自然に使われていたと言います。しかし、この言葉が医師によって話されているのを最近ラジオで聴きました。奥野滋子さんという緩和ケア医が「お迎え現象の不思議」と題して3回にわたって話されるのを聴く機会があったのです。

 奥野さんは現在、神奈川県にある湘南中央病院で緩和ケア医として働くお医者さんですが、これまで看取った2500人ほどのうち3割ほどが「お迎え現象」を体験していると言われるのです。中には体験しても話さない人もいるに違いなく、それらの人を含めると想像以上に沢山の人がこのお迎え現象を体験しているに違いないとおっしゃるのです。

 具体的な事例は様々ですが、末期がんでも治療をあきらめなかった女性が幼くして死んだ我が子が成人姿で現われたのを見て以後、今やれることをやろうという気持ちになって治療を止め、その死まで家族と共に自然体で過ごした例があると言います。これなど死の恐怖から解放され、残された時間を大切に過ごした典型的な例でありましょう。

 奥野さんがこれらの事例を見ていて「お迎え現象は決して意識障害で起こるのではない。お迎えに来る人は人を(あの世に)無事に送り届けることを役割にしている。死はそこで終わりではない。死を否定するのではなく死を見つめてどのように接していくべきかを考えるようになった」と言います。

 むろん、このお迎え現象が科学的に解明された訳ではありません。しかし、いま医師によってもこの現象が語られ始めた意義は大きいと思います。医師である奥野さんがお迎え現象を通して「死は終わりではない」と思われたことは人間理解の上で画期的と言ってもよいほど大きな意義を持っていると思います。


 奥野さんはご自分の経験を通して「私終いの極意」を「人との縁を大切にすること」「自分の生き方を肯定すること」「今を大事にすること」と言っておられます。またもう一つ「捉われないこと」とも言われました。これらはまさに仏さまの教えそのものではありませんか。私たちもお迎え頂けるよう頑張りませうね。

  死は通過点。また仕事が待っている。
            ~奥野滋子~

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