平成28年9月18日
供養や法要の折、お寺に下さる金品を布施と言いますが。皆さんはこの布施をどのようにお考えでしょうか。俗に「坊主丸儲け」という言葉がありますが、布施はこの類だとお思いでしょうか。時代や社会の変化でお寺に対する意識も変わりつつある今、この布施をめぐる動きが仏教界の大きな関心事になっています。
先達て、Kさんが持ってきて下さった日経新聞に「明朗お布施 仏教界に波紋」(16/8/14付)と題する記事がありました。インターネット通販のアマゾンジャパンが、法事や法要に僧侶を定額3万5000円で紹介するという「お坊さん便」を始めたことに対し、全日本仏教会が「宗教のビジネス化」だと反発しているというものです。
と申しますのは、布施というのは「修行」だからです。えっと思われる方がおいでかも知れませんが、私たちの修行徳目である六波羅蜜の第一番が「布施」となっていますね。布施というのは、寺と檀家だけのことではありません。私たち誰もが布施しあうこと、それは互いに助け合って生きるという修行に他ならないのです。
この布施行は各人の力量に応じてなされるものです。であれば布施は量の多寡、額の多少が問題ではなく、それぞれの精一杯の真心が大切なのです。これまで寺が法要の布施に額を提示してこなかったのは、これを互いの修行としてきたからでありましょう。それを思うと「お坊さん便」は仏教の根本を無残にするものと言えないでしょうか。
確かに今の風潮からすれば、布施が定額化している方が分かりやすくてよいということかも知れません。葬儀や法事の時、お布施の額に悩むとすれば定額化を有難いと思われる方もおいででしょう。しかし、申し上げましたように布施は寺と檀家だけのものではありません。布施を互いの修行と捉えて頂きたいと願って止みません。
笑わせられました。
「ねんごろな読経お布施を包みかえ」
~16/9/10 NHKぼやき川柳~
0 件のコメント:
コメントを投稿