また「出生前診断」考 №394

平成28年9月9日
また「出生前診断」考 №394

   また「新型出生前診断」 



 
 前号(№393)「“日本社会”考」で、作家の辺見 庸さん、北大教授の石井哲也さんのお二人が先達て神奈川県相模原市の障害者施設で起きた殺傷事件について「命の選別」という観点で新聞に寄稿されていることをご紹介しましたが、このうち石井哲也さんについてはご紹介が十分ではありませんでしたので改めて申し上げたいと思います。

 石井さんは、政府が取り組むと言う事件の真相解明では「恐らく言及されない点」について述べると前書きして「新型出生前診断」について、こう言われるのです。「新型出生前診断を実施する臨床研究では胎児の染色体異常が確定すると9割以上の女性は中絶を選択している。胎児と人では倫理的な地位は異なるが中絶は胎児の“殺生”である」と。

 そして、更にこう続けられるのです。「(中絶が)染色体異常がある人生を十分に理解した上での選択なのか、依然として命を功利的に見る傾向があるのではないか」と。私は石井さんのこの言葉に「その通りです」と声を大にしたい思いがして止みません。「新型出生前診断」には、私たちの人間理解を偏狭化する危険が含まれているのです。

 改めて申し上げますが、私は染色体異常が確定した人が中絶を選択されることを非難する積りは全くありません。以前申し上げましたように、中絶はどの人にとってもつらく悲しい決断であったはずです。それを責めることは誰もできません。国が容認している診断検査であればそれをするかしないかも自由でありましょう。

 しかし、この診断検査には必ず石井さんが危惧する問題が付きまといます。そしてこの問題に責任を持つべきなのは国でありましょう。診断に起因する問題を承知しながら看過放置しているのは許されざることです。最低限、以前紹介したドイツの「妊婦葛藤法」同様のものを早急に制定することは国の義務でありましょう。

 国が診断検査を野放しにしていることは、見方を変えれば国が命の選別を容認しているということにならないでしょうか。意地悪く言えば、石井さんが政府の真相解明では「恐らく言及されない」と言われたのは、政府のこの問題に対する責任自覚のなさを指摘しているのではと思えてなりません。

 

吹き出し: 角を丸めた四角形: この世に生まれた人は皆、貴重な存在だ。お互い助け合いながら人生を楽しめる世の中を目指すべきだ。  石井哲也

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