送る迎える №401

送る迎える
平成28年10月10日


 
 先日のこのたより「お迎え現象」(№395)を読んでくれた学生時代の友人から「自分の死の折にも誰かがお迎えにきてくれると思えたら死がちょっと楽しみなりますね。その日まで私終いの極意を胸に大切に生きていこうと思いました」と手紙を頂きました。そう思って下さって大変有難いことでありました。

 たよりでご紹介した医師、奥野滋子さんが言われた私終いの極意は、「人との縁を大切にすること」「自分の生き方を肯定すること」「今を大事にすること」「捉われないこと」の四つでしたね。私はこの四つはまさに仏さまの教えそのものではないかと申し上げました。多くの人の看取りから生まれた貴重な言葉だと思います。

 ものはみな縁によって生じ縁によって滅するという真理にあって人との縁の大切さは言うまでもありませんが、実際はこれほど難しいものもありません。自分の生き方を肯定することも同じように簡単ではありませんね。今を大事にすることも捉われないことも同じです。これらはみんなトレーニング、修行だと思います。

 と思っているうち、お迎え現象を頂くためにもトレーニングが必要ではないかと思い至りました。それが表題の「送る迎える」です。「自分がしなかったことしてあげなかったこと」は「して貰えない」というのが私の持論ですが、それでいけば、臨終に迎えて貰いたいと思うならば自分がこの世でも送ったり迎えたりしてあげなければなりませんね。

 身近に言えば、家族の誰かが学校や会社などに行く時「いってらっしゃい」と送ってあげる。帰って来た時は「お帰りなさいと」迎えてあげる。それを笑顔でしてあげるということが自分の習慣になった時、初めて自分も家族から送って貰える、そして迎えて貰えるようになるのではないでしょうか。

 こう書きながら私はそれが出来ていたかと忸怩たる思いを拭いきれません。それでも私は敢えて皆さんにお願いしたいのです。家族であれ誰であれ、出かける人がいたら笑顔で送ってあげること、帰ってきた人はまた笑顔で迎えてあげること。これをトレーニングして頂きたいのです。いずれ自分がそうして貰えるように。


    送って行って送られて そのまた帰りを送って行って
    黄昏れた街・・
          ~島倉千代子「いつもふたりは」~





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