めぐる季節に №406

めぐる季節に
平成28年11月17日

  晩秋の 夕闇迫る 山の田に 白くひとすじ 煙立つ見ゆ

松山千春さんの「季節の中で」という歌に「うつむきかけた貴方の前を/静かに時は流れ/めぐるめぐる季節の中で/貴方は何を見つけるだろう」という歌詞があります。もう40年近く前の歌ですが訴えるものは変わりませんね。

もの思う秋。めぐる季節の中で皆さまは何を見つけておいででしょうか。上の歌は最近の拙詠ですが、私にとって秋、殊に晩秋、毎年のように見つけるものは、夕暮れに立ち上る稲田の白い煙かも知れません。以前にも同じような歌を詠んだ記憶があるほど、私はその景色に強く惹かれるものを覚えてなりません。

 

     晩秋山村一条煙     秋の夕暮れ煙立つ      

     閑閑寂夕暮庭前     静かな庭に佇めば

     不見人時過不息     時の流れが身に沁みる

     人間去来永遠天     無常の命いまここに

 

上の詩は短歌と趣きを重ねた本日の法語です。夕暮れの静かな庭先に一人佇んでいると秋の寂しさと同時に移り行く季節、時の流れが身に沁みて思われます。

いま長寿の時代になりました。寿命は毎年のように伸びています。といっても精々が百年。人間の一生は悠久の自然、永遠の時からすれば文字通り瞬時、瞬く間のことに過ぎません。それが肉体の命です。しかし、肉身の命がそうであっても人間の命は無常、永遠です。季節が永遠に移り変わっていくように私たちは永遠の命を繰り返していくのです。


 
いつだったか申し上げたと思います。無常というのは変化して止まないということです。変化を止めたらそれは無常ではなくなってしまいます。無常の存在である限り私たち人間は永遠の存在ということになります。その無常を生きている今という時がどんなに大切かと改めて思います。


   いまを生きるということ、それは

   「置かれた場所で咲く」ということ。


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