また紅葉幻想 №410

また紅葉幻想
平成28年12月17日

   銀杏の木 黄金敷きたる 観音寺 浄土かくやと 我が手を合わす

   かさかさと 音たてて降る 木の葉踏み 千々に乱れし 我が心知る

今年の観音寺のイチョウ黄葉は、昨年の「ヘン」をリベンジするきれいな色づきでした。散り敷いた葉は文字通り黄金のじゅうたんになって鮮やかな黄金色を楽しませてくれました。上の二首は毎日お詣りのKさんがお寄せ下さったものです。Kさんは雨のように音を立てて散る葉と散り敷いた葉の美しさに感動されたと言います。

散り敷いた葉に浄土を見たKさんの思いは私も同感です。私は「一陣の 風に舞い散る 黄葉なり 夢と見紛う いてふの手品」と詠みましたが、風に舞い落ちる黄葉のなかに立つと、一瞬夢ではないかという幻想に襲われます。舞い落ちる黄葉が異界との間のカーテンのように思われるのです。はらはらと散る葉が不思議な錯覚を起こさせるのでありましょう。

ひらひらと 流れ散りゆく 紅葉なり いづくゆくかは 風のまにまに

冬まぢか 澄みし空気に 木立らは 黙して立てり その静かさよ

  奥山の 気配さながら 山寺の 紅葉の小径 白き風ゆく

  ひとしきり 鳥の声して あとはただ 木立ちを渡る 風の静けさ

上の四首は昨年もご紹介した長門市俵山木津の西念寺さんの紅葉を詠んだ歌です。西念寺さんの今年の紅葉は多分見事であったのでしょうが、残念ながら私が伺った時はほとんどが散った後でした。僅かに残っているものもありましたが、大半は散って下の小径が地面も見えないほど一面の紅葉に覆われていました。

その中で私は静かさを味わうことが出来ました。西念寺さんは特段山の中にある訳ではありません。しかし、山門に至る石段を少し上るとまるで深い山中に入ったような雰囲気と静かさがあるのです。音もなく木々を渡る風とひとしきりの鳥の声が一層の静寂を醸しています。それはやはりこの世とは違った何かを感じさせて止みません。

音に溢れた日常の中で静かな時を持つこと。静寂を味わう時を持つこと。慌ただしい毎日だからこそそれが大切ではないでしょうか。

一面に 紅葉散り敷く 石段の 
上に揺るがぬ 古き山門

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