「自由は土佐の山間より」№409

「自由は土佐の山間より」
平成28年12月1日

前号に続き人権学習、高知県現地研修会の感想です。二日目、1110日は高知市立自由民権記念館で同館が所蔵する資料に基づいて高知県の民権運動の紹介と説明を頂きました。いやはや前日同様、私が知らないことばかりでした。板垣退助も名前だけという身にはまた恥じ入るばかり。聴くほどに土佐は先駆的な民権運動の発祥地なのでした。

 表題の「自由は土佐の山間より」という言葉は記念館の門柱脇、そして玄関正面に掲げられていますが、これこそが土佐の民権運動を象徴する言葉なのでしょう。この言葉は民権運動の思想的指導者であった植木枝盛の言葉だそうですが、この言葉には民権運動が生まれた土佐という土地に対する誇りと気概が溢れていると思います。

 私は何故に土佐に民権運動が澎湃と沸き起こったのかは知りませんが、当時の土佐は民権論者を生み出す縁を持っていたに違いありません。欧米に留学して彼の地の民権を学んできた人があったことも大きかったのだと思います。その必然的風土が板垣退助、中江兆民初め、後藤象二郎、馬場辰猪、中島信行ら多くの人材を輩出したのでありましょう。

 それらの中の一人が植木枝盛でした。植木は安政4年、土佐下級藩士の子に生まれました。留学こそしませんでしたが、独学で西洋近代思想を学び、明治25年僅か35歳で亡くなるまでの間、民権運動の理論的指導者として活動しました。この植木が残した功績の一つに「東洋大日本国々憲案」という憲法案があります。

 私はこれも全く知りませんでした。だからこそ一層驚きました。この憲法案は日本の現憲法の制定過程に参考に供されたというのです。何とそこには現憲法が謳う「法の下の平等」「思想及び良心の自由」「学問の自由」「集会、結社、言論、出版などの表現の自由」がすでにきちんと記されているのです。


 いま改憲派が独自の憲法を主張するのは、現憲法がアメリカによって押し付けられたということに根差していますが、植木の憲法案を知れば、決してアメリカの押し付けではないことが理解されるでありましょう。土佐の民権運動がいかに素晴らしいものであったかそのことを知る誠に貴重な研修でありました。合掌。

 頼む所は天下の輿論
   目指すかたきは暴虐政府
     ~馬場辰猪「日本政府の状態」~

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