人生は劇 №447

人生は劇
平成29年9月10日

 人生に対する私の思いの一つは「人生は劇」と言うことです。この思いは皆さんもきっと同じだと思います。人は誕生以後それぞれの時代にそれぞれの役割を果たします。学校に上がれば順々に児童、生徒、学生と呼ばれ、勤めれば会社員となり、結婚すれば夫、妻となり子どもが出来れば父親母親、さらには祖父祖母となります。

 私たちは誰しも人生その時々の役割を果たすことになりますが、それはその役割を役者として演じることに他なりません。学生の時は学生の本分を果すことに、会社員となれば与えられた仕事に努めること、同時に部下上司という配役を演じることになります。夫婦も親も同じですね。夫を演じ妻を演じ、親を演じることが求められます。

 このように考えると、人の一生はその折々の役割を役者として演技すること、つまりは人生という舞台で自分が主役の劇をすることと言えます。まさに「人生劇場」に他なりません。と考えると、この人生劇場で如何に自分が役者として真剣かつ納得のいく演技をし得るかどうかが人生のカギになるのではないでしょうか。

 先日、福井県永平寺町にある師匠の寺に参りました時、法戦式(ほっせんしき)という行事があったのです。法戦式というのは、僧侶になるために必ず通過しなければならない大切な儀式です。修行僧の先頭に立つ首座(しゅそ)と呼ばれる者が、修行僧の質問に即座に答えるというものですからそれはそのまま首座の力量が試されることになります。

 しかし、この法戦式は今は完全に儀式化していてあらかじめ用意してある問答に従って進められるのです。しかし、であれば一層、大切なことはその法戦式を劇と捉えて互いに役者として演じることではないかと思うのです。問答する者が一瞬の隙もない迫真の演技をすることこそ法戦式ではないかと思うのです。

 そこでは問者答者共にためらいも恥じらいも越えなければなりません。双方が役者になり切って声を張り上げて問い、答えなければなりません。一瞬のゆるみもためらいもなく、見ている者が息を吞むような演技が出来なければなりません。それはまさに自分の人生に共通することではないでしょうか。
 
 
 
  端)役者の俺ではあるが
  早稲田に学んで波風受けて 
  行くぞ男のこの花道を 
  人生劇場の幕が開く    <人生劇場>

0 件のコメント:

コメントを投稿