人生家・人生人 №449

人生家・人生人 
平成29年9月18日

 先達てのこのたより№440(一生勉強一生青春 )で相田みつをさんのことを申し上げました。相田さんのご長男、相田一人(かずひと)(相田みつを美術館長)さんのご講演を伺って、私が知らなかったみつをさんご自身の若い時の体験を知り、その体験が相田さんの詩と書の原点になっていることに感銘を受けたことの報告でした。

 その中で申し上げましたが、相田さんはご自分を書家とも詩人とも名乗ったことはないと言います。今では「書家・詩人」と言われることが普通と言いますが、みつをさんご本人はそう名乗ったことはなく、講演会などで書家とか詩人と紹介されると一瞬戸惑ったような顔をされることさえあったそうです。

 伺って、そのたよりにも書きましたが、相田みつをさんは、書を人生にしたのでもなく詩を人生にしたのでもなく、自らの人生を人生にしたのでありましょう。書家、作家、画家、陶芸家という言い方に倣えば「人生家」、詩人、歌人、文人、楽人という言い方に倣えば、「人生人」という呼び方が一番ふさわしいと言えるのではないでしょうか。

 相田一人さんが編まれた「相田みつを 肩書のない人生」という本があります。みつをさんの人生はこの言葉に尽きると思います。書家でも詩人でもなく人生家・人生人として一生を過ごされたのが相田みつをという人だったのだと思います。一人さんおっしゃるように「肩書のない生き方を敢えて自ら選択した」人だったのです。

 前号で「人生という商売」を再考しながら思い出したのが相田みつをさんでした。前号では人は誰しも「人生業者」だと申し上げました。それをさらに言えば、私たちは皆「人生家・人生人」だということです。私たちの商売は生きること。身過ぎ、世過ぎの仕事が生きることに直結することがあっても基本は人生家・人生人なのです。

 繰り返して申し上げます。私たちは皆自分自身の人生を生きることが商売です。この商売に真面目に一生懸命努力することが私たちの商売なのです。遅れてもいい、休んでもいい。ただひたすら正直に偽りなく自分の人生を歩む。それこそが「人生という商売」をする人と言えるのでありましょう。
 
 
 
自分が自分にならないで 
 だれが自分になる  みつを
 

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