また「人生という商売」 №448

 
また「人生という商売」
平成29年9月17日

 いつでしたか、このたよりで「人生という商売」ということを申し上げましたね。久保田早紀さんの歌に「トマト売りの歌」という曲があって、その歌詞に「気楽なもんさ人生なんて商売は」とあるのを知って、人生イコール商売とする考えに驚きというか、そういう考えもあるのだという感銘を受けたのでした。

 しかし考えているうち、事実は人生を商売と考える方が正しいのではないかと思うようになりました。八百屋、魚屋、肉屋、衣料品店、金物店、会社員等々、世の中には様々な商売職業がありますが、実はこれらは皆人生という商売のための身過ぎ世過ぎであり、私たちの本当の商売は人生そのものではないかと思えてきたのです。

 として、この世に生まれてきた人誰しも「人生業者」ということになると、私たちはこの商売で何を売り買いするのでしょうか。ものや労働時間など金で売り買い出来るものは身過ぎ世過ぎとなれば、人生業で扱う商品は金では買えないもの売れないものに違いありません。どんなに欲しくともどんなに上げたくても金では売り買い出来ないものです。

 私はそれこそが「まごころ」と「祈り」だと思います。困っている人を助けたいと思う気持ち、悲しんでいる人を慰め励ましたいと思う気持ち、親兄弟友人知人すべての人が元気に幸せに過ごしてほしいという祈り、世界が平和になるようにという祈り。これこそが私たち人生業者が商売とするところではないでしょうか。

 つくづく思います。人は一人では生きて行かれません。多かれ少なかれ誰かに迷惑をかけ誰かに助けられています。そして自分もまた多かれ少なかれ誰かに迷惑をかけられ誰かを助けています。金では買えず売ることも出来ない心と祈りを人生業として商売することこそ人生そのものではないかと思うのです。

 「トマト売りの歌」の歌詞の一番は上に書きましたように「気楽なもんさ人生なんて商売は」ですが、二番の同じところは「お人好しの笑顔には深いしわがある」となっています。人生という商売、気楽な反面そうはいかない面もありますね。どちらにしても一生続くのがこの商売。皆さん一緒に頑張りましょう。


   泣きなさい笑いなさい 
   いつの日かいつの日か 
   花を咲かそうよ  
       ~喜納昌吉「花」~
 

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