ある人生 №453

ある人生
平成29年10月16日

 その方、大石みどりさんは40歳の時、脳梗塞で倒れた父親の看病のため仕事を辞め、以来二十年、その父の最期を看取り、60歳になった今はリウマチのためにほとんど寝たきりの母親の介護の日を送っていると言います。大石さんはその自分を「妻でもなく母でもなく仕事もない私は世間に漂うクラゲのようだ」と言われるのです。

 しかし、「体が動く時間はそう長くない。これからの人生“これで良かった”と思えるものを探したい」と言われる大石さんの言葉は、実は多くの方がお感じになっていることではないでしょうか。大石さんは自分の今を「世間に漂うクラゲ」と言われましたが、これさえも同感の思いの方がいらっしゃるのではないかと思います。

 自分の人生を肯定させるものは何か。私は常々「人は自分が願って生まれてきた」と申し上げておりますが、人は誰しも何かしたいこと、しなければならないことがあるからこそ人間に生まれたのだと思います。生まれたいという願望なくして生まれてくる人はいません。であれば、その願望に少しでも近づくことが出来れば「良かった」と思えるのではないでしょうか。

 大石さんは介護に明け暮れる日常に「居場所がない」とも言われますが、それは己が人生に対する肯定感の有無でもありましょう。と考えれば、私はご両親の介護こそ大石さんが自ら望んだこと、大石さんはご両親の介護を今回の人生の目的にされたのだと断言して止みません。それはご自分が「これで良かった」と思うに値するものなのです。

 大石さんからすれば、「そんなことが私の人生の目的だったなんて」と思われるかも知れませんが、実は人生は「そんなこと」ばかりです。むろん中には様々な分野で人類に偉大な貢献をする方もいますが、人生の価値は人類への功績の有無よりもどれだけ自分の人生に向き合ったかによって決まるのではないでしょうか。

 そのように考えれば、大石さんはむしろよい人生を歩んでこられたのだと思います。ですから、これからもお母さんの介護に尽くして頂き、さらに欲を言えばその経験をどこかで生かすことを考えて頂きたいと願って止みません。その一生を過ごして下さった時、きっと「これで良かった」と思って下さるでありましょう。
 
 
もしこの小石に価値がないとしたら
この世界に価値あるものなど一つもない
          ~映画「道」~
 

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