「花志愛」 №465

「花志愛」
平成30年1月1日

 平成30年、新しい年になりました。皆さまよい新年をお迎えとお喜び申し上げます。一年の計は元旦にありと申しますが、今年の計画はもうお考えでしょうか。どうせ決めても三日坊主、と諦めずにお考え下さい。たとえ三日坊主でもまずは決意すること、それが大切と思います。思ったことは必ずいつか実現するのです。

 と申し上げて、さてこの私自身ですね。私が思いましたのは表題の「花志愛」ということです。これだけでは何のことかお分かりにならないと思いますが、これは前号「心のGP」宣言自省で申し上げたことの続きなんです。皆さまのお悩みを聴くということと同時に皆さまのお話も聞かせて頂きたいというのが「(はな)()(あい)」なのです。

 「花志愛」はもちろん「話し合い」の駄洒落です。話し合いで何を話題にするかと思って考えたのが花、志、愛という訳です。ここで言う花とは花鳥風月です。私たちはとかく忙しさに紛れて木や草はじめ自然の移り変わりに無頓着になりがちですね。でも生きることは自然を意識してこそではないかという象徴が「花」なのです。

 次の「志」は」文字通り「こころざし」です。人は志なくては生きられません。幾つになっても志を立てて生きなくてはなりません。大志である必要はありません。たとえ小さなことでもチャレンジすることが大切なのです。そしてもう一つ、この「志」は「死」にも通じますね。いずれ誰にも訪れる死を明るく話したいという思いです。

 三つ目の「愛」も文字通りです。キリスト教では愛ということをよく言いますが仏教ではそれほどは使いませんね。そしたらこれを見てくれた人がこの「愛」は「慈悲」ですねと言ってくれました。その通りです。書いていながら教えられました。慈悲第一は観音さまです。観音さまの愛、慈悲に近づくのはどうしたらよいかも話題にすべきですね。

 いや駄洒落を言いたくて色々申し上げましたが、話は別にこれにこだわる必要はありません。思っていること考えていること、聴きたいこと知りたいこと、何でも自由にお互いの話が出来ればと思うのです。話したり聴いたりするうちに悩みが解消するかも知れません。それが今年年頭の私の願いです。
 
 
おぼしきこと言はぬは、
げにぞ腹ふくるる心地しける
               ~大鏡~
 

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