出家はつらいよ №482


出家はつらいよ
平成30年4月17日


 僧侶には羅睺羅(らごら)と呼ばれる人と出家(しゅっけ)と呼ばれる人の二通りがあることはご存知と思います。羅睺羅というのはお釈迦さまの実子、学習第一と呼ばれたラーフラのことですが、今は俗に僧侶の息子、寺に生まれた者をいいます。我が国の僧侶はその殆どが寺に生まれた人ですので僧侶は大半が羅睺羅ということになります。

 この羅睺羅に対して出家というのは自らの意志で僧侶になった者をいいます。この私もその出家の一人です。私自身は僧侶になりたいと願っていたわけではありませんが結果として僧侶になったのですから出家に相違ありません。いずれにしても出家は自らの意志ですから結果としてそれに伴う覚悟も必要になります。

 その点でこの冬、私は覚悟の試練を受ける羽目になりました。原因不明の筋肉痛になったのです。2月初め右肩と左股関節に始まった痛みがやがて両肩両股関節に広がって夜中に痛みで目が覚めることもしばしば。分けて起床時は腕や脚を動かすこともままならず体を起こすだけで一時間以上という難儀に見舞われたのです。

 その私の難儀を知った方々が今回も親身に心配しお助けを下さいました。昨年今頃は圧迫骨折でお世話になりましたが今年もまた、になったのです。有難く申し訳ないことです。こんな時、手っ取り早いのはかみさんに手助けを頼むことでありましょう。でも私はそれをしようとは思いませんでした。それが出家はつらいよ、なのです。

 出家得度の最初の儀式、剃髪の時の偈文に「流転三界中/恩愛不能断/棄恩入無為/真実報恩者」とあります。出家の第一は妻子などとの断ちがたい恩愛を断つことです。である以上、たとえつらいことがあっても断ち切った恩愛に再び縋ることは許されないでありましょう。それは出家者にとって甘えでしかないのです。

 実は私の筋肉痛はまだ治っていません。いま何とか動けていますが、これは痛み止めの薬のお蔭です。ご心配下さる方々に対しても早くよくなりたいと思います。しかし、これも出家者たる私の試練の一つでしょう。お釈迦さまは「犀の角のようにただ一人歩め」と言われました。いまその言葉を思っています。
 

  「出家というものつらいもの 顔で笑って
   顔で笑って腹で泣く 腹で泣く…」なんちゃって!



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