存在者・金子兜太 №505


存在者・金子兜太
平成30年9月16日
  今年二月二十日、俳人の金子兜太さんが亡くなりました。98歳でした。俳句について何も知らない私は金子兜太という俳人がどんな人であったのか全く知りませんでしたが、訃報に続く追悼や評伝を読んでこのお方が平和と反戦の俳人であったことを知りました。金子さんの平和への思い、反戦の決意は戦争体験に寄っていたのです。
 戦後7011日から三年間、東京新聞と中日新聞に連載された「平和の俳句」は晩年の金子さんが一番大事にした仕事だったと言います。昭和30年刊の「少年」に「水脈の果て炎天の墓碑を置きて去る」という句がありますが、戦争中トラック島に赴任していた金子さんはそこで多くの兵士の非業の死を目の当たりにして反戦の決意をしたと言います。
 先月826日朝日新聞の投稿俳壇に何と金子兜太さんを詠んだ句が三句もありました。「炎天や兜太の水脈の真直ぐに」(北九州市・野崎 仁)/「蝉時雨兜太よ我も死まで生く」(船橋市・斉木直哉)/「九条の兜太をつれて浮いてこい」(札幌市・渡辺健一)の三句です。一句目は上述した「水脈の果て」を意識したものでしょう。しかし、同日三句には驚きました。

 しかし、考えれば金子兜太さんの平和への思いがそれほど強く多くの人に伝わっていたということでありましょう。三年前、国民の意に反した安保法がつくられようとしていた時、旧知の作家澤地久枝さんに頼まれて「アベ政治を許さない」と揮ごうしたのも戦後70年再び平和が脅かされているという危機感ゆえであったに違いありません。
 2015年、朝日賞受賞の時、金子さんは「存在者」という言葉で次のように挨拶されたと言います。「私は“存在者”というものの魅力を俳句に持ち込み、俳句を支えてきたと自負しています。存在者とは“そのまま”で生きている人間。いわば生の人間。率直にものを言う人たち。存在者として魅力のないものはダメだ。これが人間観の基本です」と。
 私はこの言葉を聞いて、金子さんがおっしゃる存在者が先達て私が申し上げた「四情発散」に通じるのではないかと思いました。人はみな生身です。生の人間は何も飾る必要がありません。そのまま、率直に生きればよいのです。金子さんは恐らくそのように生きられる社会こそ平和な社会と思われたに違いありません。合掌。



  曼殊沙華 どれも腹出し 秩父の子
                兜太

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