また「七仏通戒偈」 №511

また「七仏通戒偈」
平成30年11月8日

 先日の坐禅会の折、七仏通戒偈はいつ頃から言われているんだろうという話になりました。その時は私も分からず、七仏と言っている以上古いんだろうねとしか答えられませんでしたが、その後調べましたら、何と「法句(ほっく)(きょう)」の第183にそれがありました。以下ご覧の通り、いま私たちが目にしている偈頌と全く変わりはありません。 

     ありとある/悪を()さず/ありとある/善きことは/身をもって行い/
おのれのこころを/きよめんこそ/諸仏(ほとけ)のみ教えなり/

法句経は紀元前2,3世紀頃につくられたとされていますからやはり相当以前からこの教えが伝えられていたと言うことでしょう。
 
 この七仏通戒偈はお釈迦さまの教えを最も易しく簡明に表していると言えます。私たちが生きていく上で最も基本的なこと、そして最も大切なことがこの七仏通戒偈だと申し上げて過言ではありません。しかしまた、易しいとは言いながら「言うは易く行うは難し」であるのがこの教えでもありましょう。
 
 法句経はパーリ語では「ダンマパダ」と言い、「真理の言葉」という意味です。人として守るべき真理の言葉を集めたものが法句経なのです。法句経には全部で423の言葉が記されていますが、その一つひとつが私たちの指針と言ってよいでありましょう。この心理の言葉を私たちはしっかり心に留めてその実践に努めなければなりません。
 
 この七仏通戒偈に限って申し上げても、その実践に生きることは最後に満足感と達成感をもたらしてくれるに違いありません。お釈迦さまの教えの実践に努めたという思いは喜びそのものであるはずです。私たちが満足感をもってこの世を終わることが出来たならそれ程幸せなことはありません。それを約束するのが七仏通戒偈でありましょう。

 しかし、この七仏通戒偈を守って生きることが真価を発揮するのは実は死後ではないかと思います。私たちは死後、自分の生涯を反省せざるを得ません。その反省は楽しいどころか大変な苦痛を伴います。その時、その苦痛を少しでも減らしてくれるのが七仏通戒偈の実践なのです。精進精進。


 

()すこと()うして空しく死せば
 後に(くい)あることを致さん
        <遺経経>



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