見えないお給料 №553

見えないお給料 
令和元年9月16日

 私の仕事時代の女性の同僚、と言っても一回り以上も年下の方ですが、そのNさんが定年を迎えてこの春から再任用で仕事を続けられています。元々仕事に生きがいを感じている方でありお金に不自由しているわけでもないので仕事を続けられるだけで満足ということですが、頂く給料にはさすがに今までとの落差にびっくりされたようです。

 先日、離れて暮らしている子息が来た時たまたまその話になったのでしょう。彼女が「再任用ってお給料半分以下なんだよ。ボーナスもちょっぴりだし……」と言ったら子息に「再任用だからねえ(仕方ないんじゃないの)」と言われたのだそうです。働き方改革が言われている今彼女が給料の落差を思うのは当然なのでしょうが。

 しかし、この話を聴いた私、思わず自分のことを持ち出して子息同様「いや貰えるだけいいかも。あっちなんか仕事時代より働いていると思う時あるけど給料はないんだよねー」と言ったのです。住職に土日祝日はありませんし用事が立て込めば時間制限もありません。正直なところ、時に現役時代よりハードなこともあるのです。

 しかし、この寺が給料を貰える寺ではないことは承知で来たのですから言えば愚痴になります。そしたら何と彼女が「ご住職様は温かい気持ちのこもった人との関係と頑張る気を受け取られてお出でです。それは見えないお給料ですねー」と言ってくれたのです。これには思わず「そう、そうだった」と膝を打つ思いでした。

確かに私は給料は頂いていません。しかし、彼女が言ってくれた通りこの観音寺に来てから私は物心ともに周囲の人の温かい援助と励ましを頂いています。心身ともに耄碌しかかったこの私がこの観音寺にいさせて頂けるのはこの寺と私を援助し励まして下さる周囲の方々のお蔭なのです。思えば感謝しかありません。

Nさんに教えて貰って気づきました。私が時に無給で働いていると思ったのは恥ずべき奢り、慢心でした。私は金には匹敵しない有難い縁の力と援助を頂いているのでした。そのことを教えてくれたNさんに感謝します。そしていま観音寺と私を支えて下さっている篤志の方々に心より感謝申し上げます。有難うございます。
 
 
 
「この花はおれが咲かせたんだ」
土の中の肥料はそんな自己顕示をしない。
おれのような。 
         ~相田みつを~
 
 
 

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