空即無常 №559

空即無常
令和元年10月18日

何と大発見と言いますか大変なことに気づきました。般若心経に出てくる例の「色即是空」という言葉、難解ですよね。皆さんも恐らく解説書の説明に分かったような分からないようなで要領を得ないのではないでしょうか。ところが、「何だそうだったのか」と思えることに気づきました。それが表題の「空即無常」なのです。

私は以前、色即是空の「空」を「神」あるいは「神の仕業」と理解していました。「空」を「天」すなわち「神」と取ったのです。空を神もしくは神の仕業と考えると空を素直に理解できました。私たち人間を初めすべてのもの(色)は神つまりは神の顕現と捉えることによって心経のいう色即是空を理解できたと思ったのです。

その思いは今も変わりません。しかし、空を神と考えることは仏教では異論になります。仏教では創造主としての神を持たないからです。仏教の教義に神はないのです。ところがつい最近、色即是空・空即是色の空即是色をAとして三段論法が成り立つことが分かりました。その結果が「空即無常」なのです。

その三段論法は「諸行無常」の「諸行」イコール「色」として次のように成り立ちました。A空は色である(空即是色)。B色(諸行)は無常である(諸行無常)。ゆえにC空は無常である(空即無常)です。これで行けば、色即是空は色即無常即ち諸行無常に返ります。般若心経も私たち人間が無常の存在であることを言っていることになります。

如何でしょうか。空は無常、と理解することによって「空」を理解できるように思われませんか。「あってない」とか「空しい」とかいう言葉に迷っているより分かりやすいのではないでしょうか。私たち人間はむろん、つくられたものすべてが瞬瞬刻々に変化していく、つまりは無常の存在だというのが色即是空なのです。


 色即是空というのは私たちへの戒めだと思います。私たちはとかく自分はもちろん周囲の人も物も変わらずあり続けると思いがちです。しかしそれは思い違いに過ぎません。この自分の身体も一時も休まず変化し続けているのです。昨日の自分と今日の自分は違うのです。それが無常。それを覚悟しなければなりません。
 

  朝夕の冷気一段つのる日に
  これぞ無常と秋の風吹く

 
 

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