令和元年10月1日
明日という字は明るい日と書くのね/あなたとわたしの明日は明るい日ね/それでもときどき悲しい日も来るけど/だけどそれは気にしないでね/二人は若い小さな星さ悲しい歌は知らない/
のっけから恐縮。上の歌ご存知でしょうか。昭和44年、アン真理子さんが歌った「悲しみは駆け足でやってくる」の歌詞一番です。
私はむろんこの歌を聴いていますが、ちょっと寂しげな歌だったためか愛唱するまでには至りませんでした。でも何となく心に残ったのは「明日という字は明るい日と書くのね」という感覚に思いがけぬ新鮮さを覚えたからだったと思います。明日という字を分解すれば確かに明るい日になりますが当時の私にそういう解釈は思いもよりませんでした。
いやまた何で表題とは関係ないことかと言いますのは、先日ふと「人」という字を上の歌のように分けたら「人いう字は支え合いなのね/人と人とが助け合いするのね」と歌えると思ったからです。「人」の字は倒れそうになる左の人を右の人が支えているように見えますよね。「人」が象形文字であることを無視すればそういう解釈ができます。
先日のたより「見えないお給料」以後、つくづく思うのです。私たちは助け助けられて生きていると。私は真実多くの人に支えられ助けられて生きています。多くの人のおかげを頂いています。そしてわずかながらも私も誰かの支えになっているかも知れません。互いに支え支えられて生きている。それが人間というものではないでしょうか。
先日、3年前の熊本地震をきっかけにホームレスになったという66歳の男性の話を聞きました。何とその方は「人生の中で今が一番幸せ」と言われるのです。何が幸せなのか。それが人なのです。
炊き出しをしてくれる人、茶飲み仲間になった警備員、飲み物を差し入れてくれるホームレス仲間、そういう人とのつながりの中で幸せという思いが生まれているのでした。
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