「山頭火と衣食住」展 №683

 「山頭火と衣食住」展

令和4年6月6日

 先日、防府の「山頭火ふるさと館」に「山頭火と衣食住」展を見に行ってきました。今回は衣食に焦点を合わせた展示でしたがなかなかに興味深かったです。「山頭火ふるさと館」を訪ねるのは今回が初めてでしたが、山頭火のふるさとだけさすがに立派な会館をおつくりと感銘しました。山頭火さんも感謝されていることでありましょう。

 展示の入り口に山頭火が詠んだ食に関する句から自分が好きな一句を選ぶというコーナーがありました。私はそこにあった句の中の「雪の夜の大根を刻む」(S8))を選びました。この句にひとりでいることの淋しさ、孤愁を覚えたからです。T4の句に「大根刻む音淋し今日も暮れけるよ」と言うのがありますが淋しさは同じでありましょう。

行乞の人山頭火は毎日そして一生が托鉢でありました。托鉢で頂いたものが毎日の食事でありそれ以外のものはなかったと言って過言ではないと思います。好きなもの食べたいものを自由に食べられる身ではありませんでした。「食べるだけはいただいた雨となり」と言う句はそれを詠んでいます。食べられるか否かは托鉢にかかっていたのです。

「こほろぎよあすの米だけはある」「月夜あるだけの米をとぐ」は行乞に生きる日の実情です。「しみじみ食べる飯ばかりの飯である」という句のようにご飯だけを食べる日も多かったに違いありません。山頭火だって食べたいものはあったでしょう。「なんとうまさうなものばかりがショウウヰンドウ」の句はそれを語っています。

 些か話が飛んでしまいますが、山頭火が食を詠んだ句のうちで私が忘れられないのは「うどん供えて、母よ、わたくしもいただきまする」と言う句です。S1336日の日記に「亡母四七年忌。かなしい、さびしい供養。(中略)今日は仏前に供へたうどんを頂戴したけれど絶食四日でさすがの私も少々ひょろひょろする」とあります。

 正一(山頭火)11歳の時に井戸に身を投げて自殺してしまった母。その母を生涯思い続けた山頭火が
47回忌に供えることができたのは一杯のうどんだけでした。自分の分まで作ることができなくてお供えしたうどんを頂いたのです。そこに山頭火の食事のすべてが集約されていると言えるでありましょう。瞑目。


鉄鉢の中へも(あられ


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