「ママごめんね」 №686

「ママごめんね」 

令和4年6月21日

 610日の毎日新聞の記事にあった言葉がいまだに心の重荷になって離れません。その言葉は「ママごめんね」。餓死させられた5歳の男の子が死ぬ間際にお母さんに言ったという言葉です。私はその記事を読んで思わず息を呑みました。「息を呑む」という衝撃を初めてのように感じさせられました。

 事件があったのは2年前の4月です。福岡県篠栗町でママ友に物心両面を支配された母親が我が子(いかり)(しょう)士郎(じろう)ちゃんに十分な食事を与えず餓死させてしまいましたが、翔士郎ちゃんはその死の直前、うずくまったまま目の焦点も合わない状態で「ママごめんね」と言ったというのです。餓死する直前に母親にそう言ったということに切なさと哀れさを覚えてなりません。

 しかし、私が次に思ったのはなぜ「ごめんね」かということでした。みんなはどう解釈するかと思って観音さまの会の折、翔士郎ちゃんの供養をした後尋ねてみました。すると、そのうちのお一人が「自分が悪いと思ったからではないか」と言われました。虐待を受けている子どもの中には往々にして自分が悪いからと思う子がいるというのです。

 虐待されるのは虐待される子が悪いからではありません。どころか、被害者であるのに自分が悪いからだと思うというのはそう思わなければ状況を納得できず心の平衡を保てない心理作用なのでしょうか。ひょっとして翔士郎ちゃんも自分が悪いからだと思ったかも知れません。そうだとすると一層切なくその切なさに涙が出て来ます。

 しかし、私はもう一つの解釈を思いました。自分が「悪い子でごめんね」ではなく、「ママを助けてあげられなくてごめんね」ではなかったろうかという解釈です。5歳になれば「ごめんね」がどういう意味で、どのような状況で使う言葉かは分かっているはずです。とすれば、この「ごめんね」は母親への謝罪ではなかったかと思うのです。


 思います。翔士郎ちゃんは悪魔のようなママ友にお母さんが叱責されたり暴力的に扱われたりするのをしばしば目にすることがあっただろうと思います。そして自分が何もできずママを助けてあげられないことを苦にしていたに違いありません。その気持ちが今際の「ママごめんね」ではなかったでしょうか。瞑目するばかりです。



翔士郎ちゃんに転生回生あれ!

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