“質問力”とは №684

 “質問力”とは

令和4年6月16日

 1ヵ月余り前のことになりますが、この観音寺がお世話になっている仁平寺様、田中大道師が「お経の意味は遠慮なく聞いて」という投稿(430日付朝日新聞)をされていました。私は見ておりませんが仁平寺様の投稿の前に「お経の意味わかるよう説明して」という投稿があり、それを受けた僧侶からの返事があったようです。

 投稿の中で仁平寺様は通夜の席では翌日の葬儀の意味の説明と同時に質問を受け、葬儀の日には故人と僧侶がどんなやりとりをしているかを話し、読経の意味も説明するように心がけていると言われています。当観音寺は葬儀は滅多にありませんが、あれば私も通夜や葬儀では同じように申し上げていますので仁平寺様おっしゃることには同感です。

 しかし、些か残念なことには私たち僧侶がお経や葬儀の意味を質問されることはほとんどないのです。仁平寺様も日頃そのことを思っておられるのでしょう。投稿の最後に「ぜひ、お経の説明を求めてみてください。皆さんの“質問力”が僧侶の説得力を引き出し、育てることになるかもしれません」と言っておられます。

 私はその“質問力”という言葉に強い共感を覚えました。質問には根底に疑問がなければなりません。お経であればその中の言葉はどういう意味なのかという疑問があって初めて質問になります。ボーっと読んでいるだけ見ているだけでは疑問は起こりません。まさに質問は力なのです。疑問を解決したいという思いがあっての質問なのです。

 私事で恐縮ですが医学雑誌の記者をしていた若い頃、厚生省から記者会に発表事項などの説明がある時には幹事社が代表して質問をすることが習わしでしたから幹事社は大変でした。私が幹事社になった時の緊張は今でも忘れられません。しかし、そのお蔭で私は“質問力”を身につけることができたと思うのです。


 この“質問力”は私たちの日常そして一生に関わることだと思います。私たちがよりよい人生を送ろうとすれば見るもの聞くものに注意深くなければなりません。なぜかどうしてかと思う心をつくらなければなりません。それが“質問力”となって正しい理解や判断につながるのだと思います。珍重。


ボーっと生きてんじゃねーよ!

         チコちゃん


0 件のコメント:

コメントを投稿