人生は「掃除」 №724

 人生は「掃除」

令和5年4月1日

 私が存じ上げている方に手芸が大変得意な方がおられます。その方がお勤めになっている施設の受付には布で作った季節季節の飾り物が置かれていて訪れる人の目を楽しませ心を和やかにしてくれています。手芸の作品にはそういう力があるのでしょう。ともすると、慌ただしくなりがちな気持ちをほっとさせてくれるのが手芸ではないでしょうか。

 その方が時ごとに作った飾り物を家でも飾りたいと思うのは当然でありましょう。自分も見たいと思うでしょうし、他人(ひと)にも見て貰いたいと思うでありましょう。でも、なんです。その方のご主人は「飾ればほこりがつくから飾るな」と言うのだそうです。ですからその方の作品は押し入れにしまわれてしまっているというのです。

 それを聴いて思いました。確かに置き物や飾り物は飾って置けばほこりがつきます。しかし、だからと言ってしまいこんでしまったら折角の飾り物を見ることは出来ず、その飾り物を見てほっとする安らぎを味わうことも出来ません。毎日の生活の中に安らぎが大切であることを考えるともったいないことではないでしょうか。

 申し上げましたように飾り物であれ何であれ、置いてあるものには必ず塵ほこりがつくことは避けられません。それは当たり前すぎるほど当然なことです。しかし、お考え下さい。塵ほこりがつかない物なんてありますか。ほこりが着くことを承知の上で着いた塵ほこりを掃除するのが私たちの毎日ではないでしょうか。

 私たちの身体からしてそうなのです。私たちは生きるために食物を摂取しますが、その過程には必ず老廃物ができます。私たちの身体はその老廃物を大小便として排泄しています。いわば体の掃除です。それが、代謝です。その代謝、摂取と排泄とういう循環なくして私たちは生きていかれません。掃除と言うのはその循環の大切な一環なのです。

 永平寺にいる時、修行僧の日常は掃除に尽きると思いました。永平寺の日課は掃除が中心です。朝の回廊掃除、午前と午後は境内の掃き掃除と草取り。毎日がその繰り返しです。思えば私たちの一生は掃除ではないでしょうか。毎日毎日、来る日も来る日も掃除を繰り返す。私たちの人生は「掃除」なのではないでしょうか。


前にも同じこと言ったことあるよね。

「人生はゴミ出しだ」って。

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