あっぱれ人生 №736

 あっぱれ人生

令和5年7月1日

 もう30年以上も前、養護学校で学級担任をしていた時の教え子、福井華子さん(華ちゃん)の訃報がありました。44歳でした。華ちゃんはダウン症でした。ダウン症は心疾患や眼疾患を伴うことが多いのですが、華ちゃんも最後の一年は視力をかなり失ってご両親の介護によることが多かったということでした。

 私が担任していた中学生時代、華ちゃんはダウン症児特有の明るさと頑固さを併せ持った誠に痛快な女の子でしたが、才能的には驚くべき視覚記憶に加えて独特な感性を持った絵画表現力を持っていました。後に絵画展を開くことができたのも偶然ではありません。華ちゃんの絵には他の人には真似できない力があったのです。

 ダウン症児は未来の人類といわれますが、華ちゃんはその言葉ピッタリでした。ウソも衒いもありません。素直そのまま、怒る時は怒るし楽しい時は喜ぶ。喜怒哀楽に正直です。私たちが自分の感情を素直に表せなくなっていると思う昨今だけに豊かに感情を表すことができる人は誰からも愛されるでありましょう。華ちゃんがその人でした。  

 だからであったでしょう。華ちゃんの葬儀には驚くほどの会葬者があったそうです。そして最後のお別れには沢山の人が「華ちゃん有難う、華ちゃん有難う」と声をかけて呼びかけていたそうです。この様子を見ていた元同僚のAさんの心に浮かんだのはただ一言、「華ちゃん、あっぱれ人生」だったと教えてくれました。

 Aさんの「あっぱれ人生」という言葉を聴いて私は二つのことを思いました。一つは華ちゃんは勝ち組ということ。たとえ盛大な葬儀であっても儀礼が主で碌に悲しむ人もいない葬儀だったら負け組ではないでしょうか。華ちゃんの死を惜しみ悲しむ人が溢れた葬儀は華ちゃん自身の人柄によってです。あっぱれ人生としか言えません。



 もう一つ思ったことは、華ちゃんはこの人生で多くのものを獲得したに違いないということです。人はみな人生未完成で終わるというのが私の考えですが、華ちゃんは44年の人生で私たちより遥かに大きな成果を得たに違いありません。ダウン症を生きることで常人の及ばぬ人生を成し遂げたと思えてなりません。


「あんと(ありがとう)

とうしゃん、かあしゃん。

あんと みんな」   福井華子


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