有難う、車さん №744

 有難う、車さん

令和5年9月5日

秋暑き汽車に必死の子守歌   中村汀女

 上の句は暑苦しい汽車の中で泣く子をなだめようと必死に子守歌を歌うお母さんを詠んだのでしょうか。いやはやこの夏も暑かったですね。残暑はまだ続いていますが夏の暑さは年々酷くなっているように思えてなりません。

 そんなある日、車を走らせていてふと思ったのが「有難う、車さん」でした。炎天の真、熱せられた道を車はものも言わずに走ってくれます。タイヤにはそれこそ灼けるほどの熱がかかっているに違いありません。それを思うとこの自分の代わりに灼ける道を走ってくれる車に思わず「有難う」と言わざるを得なかったのです。

 なぜそう思ったか。実は私は灼ける道を走る車のタイヤと同じような体験をしたことがあるからです。もう20年以上も前、四国お遍路に行った時のことです。7月下旬の暑さ真っ盛りの時、行けども行けどもの国道を歩いていて靴底から伝わる熱さに耐えきれない思いをしたことがあるのです。

 その時の靴は分厚い底の頑丈なものでした。しかし、コンクリートの道を歩けば熱せられた道の熱が否応なく靴底を通して伝わってきます。それは並み大抵ではありませんでした。耐えきれずに靴を脱いで道路際にへたり込むことを何度繰り返したか分かりません。今なお忘れることができないほどの苦痛を味わったのです。

 考えれば車の有難さは夏だけではありません。冬には夏とは反対に凍てつく道を走らなければなりません。凍てつくという言葉通り、氷のように冷たい道を走らなければなりません。雪の道もありましょう。氷の道もありましょう。その道を自分に代わって走ってくれるのです。有難いとしか言えません。


 思いました。私たちのこの世界はこの車のような人があって成り立っているのです。縁の下の力持ち、誰にも知られず黙々と働く人たちがいてくれるからこそこの人間世界が成り立っているのです。私たちは車の有難さを知らなければなりません。そして私たちも車に倣って黙々と世の為を心掛けなければなりません。


花を支える枝 枝を支える幹

幹を支える根 根は見えねんだなあ

       <相田みつを>

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