ノラ猫考 №756

 ノラ猫考

令和5年12月8日

先月初めの季節外れの夏日数日から一ヵ月、朝晩の冷え込みはやはり冬に相応しくなってきましたね。寄る年波か、私は年々寒さに弱くなっているように思いますが皆さまはいかがお過ごしでしょうか。寒さが厳しくなってくるこの時期になると気になることがあります。ネコ。そう、ノラ猫のことなんです。

 以前にもお話ししましたが、この観音寺境内には常時数匹のノラ猫が徘徊しています。そのうちの一匹に時々エサをやるようになってもう数年になると思いますが、今年になってそのノラが本堂の縁の下に“常駐”しているらしいことが分かりました。。朝、エサやりの時間にその気配を感じて縁の下から飛び出してくるのです。

 実は2,3 年前の冬にそのノラが数日姿を見せないことがあって凍死してしまったのではないかと心配したことがありました。その時は別の場所にいたようで無事に戻ってきましたが、これから寒くなる一方ですから本堂の縁の下で冬の寒さを越せるだろうかと心配になるのです。ノラ猫も大変ですよね。

 思えば可哀相なノラ猫ですが、私はノラ猫の本当の悲哀は人とのつながりを持っていないことだと思います。いや人とだけではありません。ノラ猫同士もつながりを持っているようには思われません。ということは、ノラ猫はいつも一人。触れ合う仲間も話をする相手も持っていない孤独の存在ということになります。

 サン=テグジュペリの「星の王子さま」に王子さまがキツネと出会う場面があります。王子さまはキツネに「遊ぼう」と声をかけますが、キツネは「きみとは遊べない。なついてないから」と言います。それを聴いた王子さまは「なつくってどういうこと。なつくってどういうこと」と2度訊ねます。


 キツネは答えます。「なつくって絆を結ぶということだよ」と。私はいま改めて思います。私たちは絆を結んだ生活をしているでしょうか。親子兄弟夫婦友人知人、そして民族宗教文化を異にする人たちと絆を結べているでしょうか。絆を結ぶということはどういうことなのか改めて考えたいと思います。


「もしきみがぼくをなつかせたら、

 ぼくらは互いに、なくてはならない存在になる」

                <キツネ>  

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