原発事故十年半 №650

 原発事故十年半

 令和3年9月18日

 この911日は東日本大震災から十年半という日でした。もうと言うべきかまだと言うべきか被災された方々の思いはそれぞれでありましょう。改めて津波で亡くなった方々の冥福を祈ってやみません。しかしその中で思うことは震災によって起きた原発事故のことです。この事故については誰しも無念を思い続けているのではないでしょうか。

 思うのです。あの震災が震災だけであったらと。震災は原発事故を併発させたことによって私たちに震災に止まらない苦しみと悲しみをもたらしました。そしてその苦しみや悲しみは今なお癒えることなく続いているのです。事故によって崩壊した町.失われた共同体.奪われた故郷の悲しみが続いているのです。

 発電所のある大熊町には今なお帰還困難区域があり、そこに人が住むことはできません。溶け落ちた燃料デブリの取り出しはその方法も確定していません。日毎に溜まる一方の汚染水は薄めて海に流すことが検討されていますがこれが海の生物にどんな影響を及ぼすかは分かっていません。漁業関係者が反対するのは当然でありましょう。

 これほどまでに甚大な被害をもたらした原発事故であるのに国がまだ脱原発を打ち出せていないことには怒りを覚えてなりません。同時に日本の電力会社どの一社も脱原発を言わないのは何故でしょうか。当山口県上関町に原発を新設しようとしている中国電力がそのCMで「ぐっとずっと」というのを聞くと「ぐっとずっと原発か」と思えてなりません。

 国や電力会社が原発を諦めないのは端的に言えば、福島原発事故の重大さを正しく認識していないからです。事故の恐怖を認識すれば脱原発しかないはずです。もう一つは発電単価を思ってでしょう。しかしこれは正常運転ができていればのことです。一旦事故になればどうなるかは福島原発事故を見れば明々白々です。

 私たちはスリーマイル島の原発事故やチェルノブイリ原発事故を対岸の火事と思ってきた憾みがあ ります。しかし、この日本で起きた福島原発事故は正しく認識しなければなりません。脱原発を選ぶのはまさに私たち一人ひとりです。私たちの子孫と地球の未来が私たちの決断にかかっているのです。

 「人間が天の火を盗んだ。

その火の近くに生命はない」

         <高木仁三郎>

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