得度式・絡子(らくす)授与式 №647

 得度式・絡子(らくす)授与式

 令和3年9月8日

  3年越しで縫ってきた8名の方の絡子が先ごろ出来上がりましたので先月17日、この授与式と内3人の方の在家得度式を行いました。この日、絡子作成の指導をして下さった常福寺ご住職、粟屋孝順師のご臨席は叶いませんでしたが私としては住職としての務めを一つ果たすことができて大変有難いことでした。

 当日、授与の方には懴悔文を唱えて貰った後、私たちの大切な守りごとである「十重禁戒」の実践を誓って貰いました。絡子授与は得度ではありませんが絡子は元々、「作務衣」(作務をする時につける袈裟)と言っていたそうですから絡子をつけることは気を引き締めてすべきことを覚悟して頂きたかったのです。

 であれば、得度者には更なる覚悟を持って頂かなくてはなりません。得度というのは受戒であり戒を守る決心をするということです。ですから授与の時と同じようにまず懴悔文を唱えて頂き、次に三帰戒文、三帰礼文を誓い、最後に十重禁戒を誓って頂きました。こうして与えられるのが戒を誓ったことの証明である「戒名」なのです。

 私たちが日頃唱えている修証義の総序には「人身得ること難し。仏法()うこと()れなり」という言葉があります。仏教的に考えれば私たちはまず生まれてくることが難しい人(という存在)に生まれることができたということになりますが、その人間に生まれても仏法(仏の教え)に巡り合うことはさらに難しいというのです。

 得度をするということはその難値難遇、出逢うことの難しいお釈迦さまの教えに遭うことができたということです。貴いことではありませんか。お釈迦さまの教えは真理です。宇宙自然の真理です。その真理を頂きその真理を自らの生き方にするということはいまの時代、私たちが積極的に求めるべきことではないでしょうか。

 得度をされた一人、女性の水仙さんが「さあ今からが学びの始まりなのだ。一度でも多く観音さまの近くにいさせて頂こう」と思ったと手紙を下さいました。おっしゃる通り受戒は始まりの時。戒を守っていくという決心の時こそが受戒に他なりません。この度の得度者そして絡子を受けられた方みんなに幸あれ。幸あれソワカ。

銀河鉄道「得度」

 

出発進行!

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