宗教とは何か №649

 宗教とは何か

 令和3年9月17日

 先月、アフガニスタンではアメリカ軍の撤退に乗じてタリバンがあっという間に全土を制圧してガニ政権を崩壊させ20年振りに再びタリバンが政権を担うことになりました。しかし、このタリバン政権がこれからアフガニスタンをどうしていくのか世界の民主主義国家がこぞって心配することになりました。

 世界がいまアフガニスタンに対して最も懸念していることは民主主義国家にはならないであろうということです。以前の時がそうであったように人権無視の恐怖政治を再来させることになるのではないかという心配があるのです。その心配は杞憂ではすみません。政権を掌握した最初の会見でタリバンは「イスラム法の枠内」と言っているのです。

 報道官は今後の女性の人権について「女性は働けるし教育も受けられる」と言いましたが、それは「イスラム法の枠内で」と条件を付けたのです。それを裏付けるようにその後発表された閣僚名簿には女性は一人もありませんでした。「イスラム法の枠内」とする限り女性がアフガニスタンの成員ではあり得ないのでしょう。

 今回のアフガニスタンの政変を見ていて私は「宗教とは何か」と改めて思わざるを得ません。一つの宗教が生まれてその宗教に賛同する信者を得てもその宗教は不変ではあり得ません。私たちの仏教もそうです。多くの論争がありあちこちの国に広がるにつれて変化を遂げてきたのです。イスラム教もそうであったでしょうしこれからも変化を余儀なくされるはずです。

 タリバンは変化に抗して原理主義を主張しイスラム法に基づくイスラム社会への復帰を目指そうとします。それは一つの運動としては認められるべきでありましょう。しかし、それを国民全員に強いることは許されないはずです。宗教はあくまでも個人の問題です。主義主張を強制したり人権を束縛したりすることがあってはならないはずです。

 どの宗教であれ原理主義を信奉するか否かは個人に委ねられることです。ましてその原理主義によって天与の人権が束縛されることがあってはならないのです。タリバンがその教条主義から脱してアフガンを平和な明るい国にしてくれることを只々願ってやみません。アフガニスタンに幸あれ。アフガニスタン国民に幸あれ。

 自未得度先度他の心を発せば

「設い七歳の女流なりとも四衆の導師なり。

男女を論ずることなかれ」 

             <修証義>

 

 

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