凌 霄 花
この五日、№103(斃れて後已む) でお伝えしたゼンリュウさんの本葬儀がありました。№103 にも書きましたが、ゼンリュウさんの人柄と交際の広さに寄ってでしょう。この日の本葬は永平寺・総持寺両大本山専使初め県宗務所長老師他歴々たる重鎮和尚、数十人に及ぶ随喜僧侶、そしてお檀家さん大勢による誠に盛大な葬儀となりました。
しかし、葬儀が盛大であればある程ゼンリュウさんの早すぎる死を悼み無念に思う心は参列の人全員の斉しい気持ではなかったでしょうか。式開始の直前ひとしきり沛然たる雨が降り、上がるとからりとした晴天になりましたが、何かそれさえも無念の思いをこの日で最後にせよとの天のお示しのようにも思えたのでした。
秋到来を思わせる涼風の中、本堂の前の二本のノウゼンカズラの花が風に揺れていました。七月の密葬の時咲き始めていた花がまだ一杯に花をつけていました。ノウゼンカズラはその異称を「凌霄花」と言います。凌はしのぐ、霄は空、という意味ですから「凌霄花」というのは、空高く登る花という意味です。
その言葉通り、ノウゼンカズラは高木に会えばその幹を伝わって驚くほど高い場所にまで花を咲かせるのです。檀家総代の方はその弔辞で「ゼンリュウさん、あなたは何故そんなに死に急がれたのですか」と慨嘆されましたが、風に揺れるノウゼンカズラを見ていて、私もゼンリュウさんは凌霄花のように天を急がれたと思われてなりませんでした。
生も死も無常です。無常は非情です。そこには一片の容赦もありません。お釈迦様は「世はみな無常なり。会うものは必ず離るることあり。憂悩を懐くこと勿れ」と言われました。でも、私たちにとってやはり死は悲しいのです。亡き人の姿を見、声を聴くことが出来ないことが悲しいことに変わりありません。瞑目して祈るばかりです。
濃き赤き のうぜんかずら その如く 天を急ぎて 逝きし君はも
生き死にの 界はなれて 住む身にも
さらぬ別れの あるぞ悲しき
~貞心尼~
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