“終活”を考える №111

平成23年9月23日

“終活”を考える


 先達てNHKテレビで「長寿大国日本、今終活が熱い」という番組がありました。もちろん、この「終活」は就職活動の「就活」をもじっての言葉。人生の終末活動という意味の終活です。司会者を囲んで8人の人が質問に答えたり意見を言ったりする形でしたが、熱い、というだけあってなかなか面白い内容でした。ご参考までに一部をご紹介しましょう。

 まずは終活の内容です。そこでは「明るいイェーイ」「(はか)(とも)」「エンディングノート」「洋型墓と言葉」等の紹介がありました。「明るいイェーイ」のイェーイは遺影。つまりは自分が一番輝いている時の姿を遺影として準備すること。「墓友」は合同墓を求めた人たち同士の集まり。「エンディングノート」は死後のために書き記しておくノート。「洋型墓と言葉」は最近とみに増えているという洋型墓とその墓に刻む言葉を準備することです。

 これらの“熱い”活動から共通して伺えることは自分の死に自分が関わるという考えです。これまでの葬儀は遺族の意思が大半であったでしょうが、終活が目指すものは自分の葬儀や墓は自分が望むようにしたい、作りたいということだと思います。また、墓友は墓の友達ですからそれは死後の魂の存在を前提にしなくてはなりません。墓友には輪廻転生ということが、ごく自然に受け止められているのでしょう。ともに大きな変化ではないでしょうか。

 いま我が国では妻が嫁ぎ先の墓に入ることを拒否する例が増えているといいます。番組でも紹介されていましたが、「~家之墓」というのは明治になって民法で家制度が定められてからのことであって、それ以前、江戸時代の墓は個人墓あるいは夫婦墓だったといいます。「~家之墓」への拒否は、またこれから個人墓、夫婦墓が多くなっていくということでしょうが、私はこれは決して悪いことではないと思います。
 

 一人の人間として生き、一人の人間として死ぬことは個が基本です。人生いかに生きいかに死ぬかは家の問題でも他人事(ひとごと)でもなく自分自身、個の問題です。それだけに人生の“終活”は個の締めくくりとして大きな課題と言わざるを得ませんね。 


   おれのひつぎはおれがくぎうつ
              ~河野春三~

0 件のコメント:

コメントを投稿