三界に家なし №110

平成23年9月18日

三界に家なし


    いっせいに 蝉うちはやす 荒れ畑に けふも草()る 家なきをんな

 先日、新聞の読者短歌欄に上の歌がありました。作者は県内の女性の方だったと思いますが、この歌の「家なきをんな」という言葉に思いを馳せることがありました。

 歌の「けふも」という言葉から推測すれば、この女性は昨日も今日も畑で草取りをし、恐らく明日もその草取りをするのでありましょう。荒れ畑とは言いながら毎日草取りをしなければならないとすれば一坪二坪ではないのでしょう。一斉に囃し立てる蝉の声がするところ、と考えると山の畑なのかも知れません。

 一首からは誰もいない山の畑で暑さに耐えながら黙々と草取りをする女性の姿が彷彿としてきますが、私が関心を覚えたのは作者が自らを「家なきをんな」と言うことでした。もちろん、この女性は家がない訳ではありません。しかし、その自分を「家なきをんな」としたのは女性の達観だったでしょうか。それとも実感だったでしょうか。

 「女三界に家なし」という言葉があります。歌の作者の「家なき」はこれに由来しているのでしょう。三界とは一切衆生が生死流転する迷いの世界、欲界(食欲色欲などの欲望にとらわれた世界)、色界(欲望は超越したが物質的条件にとらわれた世界)、無色界(欲望や物質的条件は超えたがまだ精神的条件を残した世界)の三つということになっています。

 この三界は安住の世界ではないということから特に女性の不安定な立場を象徴して「女三界に家なし」という言葉が生まれましたが、女性に限らず男だって同じように不安定な人生を送っていることに変わりはありません。しかし、この歌の作者が敢えて「家なきをんな」と言われたことに作者の心境が想像されてなりませんでした。
 

 人間、寿命が延びました。ことに日本は男も女も長命になり百歳を超える方も珍しくなくなりました。それだけに私たちにいま求められているのは、与えられた人生をどう生きるか、どう全うしていくかということではないでしょうか。


    三界は家なし。六趣は不定なり。
    或るときは天堂を国とし或る時は地獄を家とし…
             ~空海「三教指帰」~

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