旗あめ考 №138

平成24年4月17日

 旗あめ考

4月21日はお大師様ですね。当観音寺もこの日はお大師様をお祭りして訪れる小中学生らに旗あめのお接待をしていますが、このお大師様と旗あめの行事はこの下関特有なのでしょうか。というのは、私が以前住んでいた千葉県や神奈川県にはこの風習はありませんでしたし、どうも一般的ではなさそうなのです。

 で、ネットで調べましたら奈良県に旗あめがありました。 奈良には伏見稲荷の縁日に因んで毎年初午の日に旗あめを配る風習があったそうです。もう一つは当下関市彦島にありました。彦島には春のお彼岸の中日に四分の一に切った半紙にお米を包んで旗あめと交換する習わしがあったといいます。ただこれらがいまも残っているかどうかは定かではありません。

 しかし、何故お大師様が4月21日なのかは分かりました。弘法大師のご正忌(入定の日)は3月21日ですから彦島でお彼岸の中日に旗あめ行事が行われていたのは正にお大師様のご正忌行事という訳です。では、この小月はどうして4月21日かといえば、東寺真言宗の根本道場である京都の東寺はご正忌の御影供(みえいく)を一カ月後の4月21日に行なっているのだそうです。小月はそれに倣ったのでしょう。

 では旗あめは?…。 お大師様の時何故旗あめをお接待として配るのでしょうか。これは分かりませんでした。ですから、これは全く想像に過ぎませんが、私は旗ということとあめの色に意味があるのではないかという気がします。 日の丸と四色のあめは四色の旗という意味があるのではないかと思われるのです。

 というのは、仏教の行事では旗(幡)を使うことが多くありますが、その旗の中には施食会の時の五如来幡(ごにょらいばた)のように青黄赤白黒の五色五流にするものがあります。幡はその儀式を荘厳化するものですから、青黄赤白の四色に色分けされたあめを冠した旗は、お大師様を荘厳する四流の幡を意味していると解されるのです。

 うまく作られていると思うのは、お大師様の日、子どもたちが旗あめのお接待の場所を廻り歩くということです。これは四国遍路を模しているに違いありません。あたかも札所を廻るように子どもたちが旗あめを貰いに歩くというのは、お遍路のミニ体験をさせることでお大師様の偉大さを無意識のうちに教えようとしたのではないでしょうか。

観音の大悲の力強ければ
重き罪をも引き上げてたべ
      四国第69番観音寺御詠歌 

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